リベラル勢力総結集・奴隷労働法制等阻止!(55)

《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《水鳥行き交う自由がいいよ「イムジン河」50年/訳詞:松山猛さん》

 分断された朝鮮半島を水鳥のように自由に行き交える日は来るのか-。
 エッセイストの松山猛さんが近づく南北首脳会談へ思いを募らせている。
 1968年、伝説のバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)」がプロデビュー第2弾に選んだ「イムジン河」の日本語訳詞者だ。あれから50年、隣人に心を寄せ、平和を願った歌の「生みの親」に聞いた。
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 ちょっと汗ばむくらいの陽気である。久しぶりに松山さんに会ったのは横浜の山下公園。
 外国船だろうか、大型船が出ていく。海風が気持ちいい。「もう50年か…。そりゃ、そうだよね。僕、ここまでバスで来たけど、敬老パスだし」。とはいえ、相変わらずカメラをぶら下げ、世界を旅しているらしい。つい先日までヨーロッパに滞在していた。
「この靴、フィレンツェで見つけたのだ」。好奇心いっぱいの目、きっと、あの頃もそうだったに違いない。「ホント、不思議な歌に巡りあったよなあ」。
 遠くを見つめ、しみじみ語る「イムジン河」との出合い-。それは松山さんが中学2年、京都でのことだった。「銀閣寺の近くにある朝鮮中高級学校に交流サッカー試合を申し込みに行ったのです。そうしたら教室からコーラスの声が流れてきて、ああ、奇麗な歌だって感じた。吸収力があったからでしょうね、そのメロディーを口ずさみながら家に帰りました」。暫くして在日の友人から朝鮮語の歌詞と1番の日本語訳のメモ、朝鮮語小辞典を貰った。そして松山さんが2番、3番を書き加え、仲間のフォークルに渡した。
 ♪誰が祖国をふたつに分けてしまったの…。分断の悲劇を、38度線に流れる臨津江(リムジンガン)に重ね、自由な鳥のようになれないか、と夢を歌に託した。
 京都はフォークブーム全盛期である。コンサートでは盛り上がったが、大ヒットした「帰って来たヨッパライ」に続く第2弾のレコードは発売されなかった。
 レコード会社の「政治的配慮」でお蔵入りになった。原作者の明示が無い等として、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)サイドからクレームが舞い込む。作者不詳と思っていたら、原作者がいたのだ。朝鮮戦争後の57年にできた「臨津江」。<河の向こうの葦の原では鳥だけが悲しく鳴き/荒れた野には草むらが生い茂る/協同農場の稲穂は波打ち踊る>。

 2番は体制礼賛色が濃かった。「純情で、おせっかいな京都の若者が、平和とか、平等とか考えていたんですよ。原曲はマイナーだけど、それを僕がメジャーにしたので少し明るい感じになった。でも悲しい歌です。もう歌われなくなる時代が来たら、いいなとも思っていたけど、しぶといのですよ。歌もしぶといけど、状況もしぶとい。
 消え去れない歌だったのです。イムジン河は朝鮮半島だけでない、世界中にある。
 イスラエルとパレスチナだってそうだし、日本もどんどん寛容さが失われ、幾つものイムジン河が生まれた。ある音楽プロデューサーが言ってくれました。
 「『イムジン河』はアジアの『イマジン』」だって

<南北首脳会談「何かが始まれば」>

 原作者は朴世永(パクセヨン)。どんな人物なのか?私は原曲誕生と同じ年に平壌で出た「現代朝鮮文学選集」の第2巻「詩集」を探し、松山さんにお見せした。
 朴世永の詩が多く収められ、彼の経歴や写真も入っている。「まじめそうで、優しい顔をしていますね」。02年に朝鮮・京畿道で生まれ、中国・上海で学び、帰国後は「朝鮮プロレタリア芸術家同盟」に参加しながら、児童文学誌の編集に携わる。
 46年に越北し、北朝鮮の国歌「愛国歌」を作詞するなど体制に重用されていくが、植民地時代に書いた一編の詩「岩つばめ」は「イムジン河」を彷彿させる。
 <南からか来たか、北から来たか、そそり立つ山の峰その頂上はるかに巣をつくる燕よ。おまえこそは自由の化身、おまえを縛るものはだれだ?おまえにつきまとうものは誰だ? おまえこそ、この大空が、この大地が自分のものではないか>「へえ、朴世永さん、彼なりにいろいろ自由を求めていたのだなあ。時代も環境も違うけど、僕もあの頃、行き詰まりを感じていた。これから世の中、どうなるのだ。ベトナムでは泥沼の戦争が続いている。僕らは自由に生きられるかってね。お金、お金の時代になっていくだけじゃないのか、そんな空気に反抗する気持ちがありましたね。自由なんて言葉はもう当たり前になったけれど、日本の民主主義は機能していますか?この頃、ふと思いますよ」
 「イムジン河」ですぐ思い浮かぶのは、松山少年をモデルにした井筒和幸監督の映画「パッチギ!」。公開は戦後60年を迎えた2005年、その年の夏、私は元フォークルメンバーの加藤和彦さんにインタビューした。「大げさな意識を背負って歌っていた訳じゃないのです。あの頃の京都、今もそうですが、在日韓国人、在日朝鮮人が沢山いる。クラスにもいたしね。北朝鮮への帰還運動も続いていたのかなあ。問題は日常的に内在していた。共存はしているのだけど、どこか垣根があってね」。その在日朝鮮人らを迎えた祖国の港に流れていたのが「帰国同胞歓迎曲」、これも朴世永の手によるものだった。
 松山さんにもヒリヒリ痛む記憶がある。「2年先輩に京子さんという仲のいい在日の子がいたのです。弁論大会で民族差別について切々と訴えて1等になって。ところが、ある日、家族と一緒に新潟から帰国船で帰るという。お父さんは砥石屋さんで、沢山の財産を祖国へのお土産にしたと聞きました。彼女は明姫(ミョンヒ)と朝鮮名に戻し、最初の内は手紙も来ていましたが、それも途絶えて…」そう言って松山さんはまた遠くを見つめる。

 私はいつだったかツアーで足を延ばした板門店近くの焼き肉屋のことを思い出した。
 煙にまみれ、脱北者の青年がギターを手に歌っていた。「イムジン河」だった。
 聞けば、父は大阪生まれの元在日朝鮮人だという。かの地で生き抜いていれば、きっと明姫さんも歌を覚えているだろう。南北首脳会談も今回で3度目になる。
 金正恩朝鮮労働党委員長が、東アジアの平和の道を歩むかどうか。
 また米国が「南北コリアン-デタント」に不当介入するか、どうか。「遅きに失しました。もっと早く歩み寄れなかったものか。懐疑的な論調もありますが、それでも何も起こらないよりかはましでしょ。何かがここから始まればいい。そしてみんなが理想とする時代が来れば嬉しいよね」カモメが空を舞う。「自由がいいよ」。おおいなる元おせっかい少年は会談の行方を見つめている。(基本文献-毎日新聞/管理者:部分編集)


《【官僚セクハラ】テレ朝社員、被害報道相談に上司対応せず》

 テレビ朝日は女性社員(記者)が財務省の福田淳一事務次官にセクハラ被害を受けていたと明らかにした。19日未明の記者会見で「社員を傷つける数々の行為とその後の対応について財務省に対して正式に抗議する」と表明し、疑惑を否定した福田と見解が対立した。
 一方、女性記者が週刊新潮の取材を受け、録音データの一部を提供していたことも明らかにした。同社によると、女性記者は約1年半前から数回、取材目的で福田事務次官と1対1で会食をしたという。その度にセクハラ発言があったため、録音を始めた。
 今月4日の会食時にもセクハラ発言があり、上司にセクハラ被害を報じるよう相談したが、上司は「2次被害の懸念等から『報道は難しい』という誤った対応【労働契約法第5条(労働者の安全への配慮)違反/男女雇用機会均等法第11条セクハラ対策規定違反】を伝えたという。こうしたテレビ朝日の誤った対応に対し、「セクハラ被害が黙認され続ける」と考えた女性社員は週刊新潮の取材を受け、2016年に録音した音声も提供したという。
 会見した篠塚浩報道局長は録音の提供や一連の上司の対応について「適切な対応ができず、深く反省している。取材活動で得た情報を第三者に渡したことは報道機関として不適切な行為で、遺憾に思っている」と話した。しかし、このテレビ朝日のコメントは、明らかに法的にも誤っており、公益通報者保護法では「会社・職場(記者の場合、取材現場も「職場」概念に入る)における違法行為があった場合、その違法行為を社内の『公益通報窓口(上司含む)』に通報しても、改善の取り組みが見られない場合、公的機関またはマスコミ等に通報する等、対抗手段をとっても、使用者(会社)は当該労働者(女性記者)に対して、『解雇または、その他の不利益を被らせてはならない』となっており、当初からセクハラ被害を通報されたにも関わらず、適切な対応を行わなかったテレビ朝日に徹頭徹尾、法的に問題がある」と断罪せざるを得ない!女性記者は、セクハラ行為を認めないまま福田が辞任したことについて「とても残念。全ての女性が働きやすい社会になってほしい」と話していたという。(参考文献-毎日新聞/文責:民守 正義)


《【軍部-隠蔽独走】防衛省また隠蔽!イラク日報「被弾の日」抜け落ち欺瞞》

 一体、何を隠そうとしているのか―。16日、防衛省が公表した陸上自衛隊のイラク派遣の日報。435日分、計1万4929ページに及ぶ膨大な資料で、早速「戦闘拡大」の記述を巡って議論されているが、ごまかされてはいけない。公開されたのは、派遣期間全体の僅か45%に過ぎない上、宿営地の被弾等、陸自が最も危険に晒された時期の日報は、ゴッソリ抜け落ちているのだ。そこには、核心が書かれている可能性が高い。 陸自は2004年1月から06年7月にかけてイラクに派遣され、04年4月から05年1月に計9回、宿営地に迫撃砲弾・ロケット弾の着弾を受けている。ところが、防衛省が公開した日報は、肝心の被弾した9日分が全て抜け落ちているのだ。自衛隊が危険に晒された日の日報こそ、国民が最も知りたい情報が詰まっているはずだ。不存在の理由を防衛省に聞くと「現地においては、日々作成され、用済み後、破棄されていたものもあります」(大臣官房広報課・報道室)と嘯いた。

■「破棄」はあり得ない

 しかし日報を破棄するなど絶対にあり得ないことだ。軍事評論家の前田哲男氏は首を傾げる。「ルール上、破棄してよいことになっていても、日報が残っていないとは考えられません。現地の日報は、軍事の基礎になる資料です。起こったことを記録、保存し、教訓にして、未来につなげていくものだからです。現時点で、被弾した日の日報が提出されていないのは、機微な情報が多く、公開方法を慎重に検討しているのだと思います。もし『ない』と結論付けるなら、それは隠蔽の可能性があります」防衛省は、「20日までに『日報類』の探索作業を徹底して行うよう」、全部署にパフォーマンス通達している。「日報破棄はあり得ない」というより「あってはならない」が軍事の常識。これでは防衛省-自衛隊は「無法状態が常識の日本軍隊」と断じざるを得ない。(参考文献-日刊ゲンダイ/文責:民守 正義)


《【労働者収奪】ドサクサ紛れ年金支給68歳へ-財務省の姑息な痛み押しつけ》

 火事場詐欺という言葉がピッタリだ。森友問題で決裁文書の改竄や口裏合わせ工作等が相次ぎ発覚し、信用が失墜している財務省。コトの重要性を反省し、少しは静かにしているかと思いきや、ドサクサ紛れの愚策を打ち出してきた。年金の支給開始を68歳に引き上げる提案だ。麻生太郎財務相の諮問機関「財政制度等審議会」は11日、分科会を開催。
 かかりつけの医師や薬局以外の受診や調剤の他、風邪など軽い症状での受診は、窓口で支払う自己負担を引き上げる方針を公表した。軽い段階の受診は医療費増大の元凶と映っているらしい。あくどいのが年金だ。厚生年金の支給開始年齢は、既に2025年にかけて段階的に引き上げられているが今回、68歳まで一段と引き上げる提案を出してきた。
 その理屈がとんでもない。11日の分科会資料はこうだ。<老化は5~10年遅延との指摘も><65~74歳の前期高齢者は心身の健康が保たれており、活発な社会活動が可能な人が大多数>「今の高齢者は元気だから、年金支給を渋れば、そのうち働くだろう」という姿勢がアリアリ。本音は高齢者への“経済制裁”と同じだ。税理士の立正大客員教授・浦野広明氏がこう言う。「働けるからといって、年金を払わないというのは飛躍しています。せっかく年金をアテにして人生設計をしてきたのに『元気だから』と払われない。詐欺に遭ったようなもので、元気だから損をするような話になってしまう。財務省の信頼が大きく失墜している時に国民に“痛み”だけは、キッチリ押し付けようとしている。国民はスルーしてはいけません」
 重病の安倍政権-財務省に“健全化”とは片腹痛い。(参考文献-日刊ゲンダイ/文責:民守 正義)
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*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。
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(民守 正義)