リベラル勢力総結集・奴隷労働法制等阻止!(54)

《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《「ネット右翼でした」沖縄に暮らし、記者になって思うこと》

 2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。新聞記事の写真がツイッターやフェイスブックで拡散され、個人ブログ等で紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者達の素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。
 何故「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。
 どのような心境の変化、葛藤があったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。

<ネットで考えを固めていた高校時代>

Q:何故コラムに「ネット右翼だった」ということを書こうと思ったのですか。
A:題材については教育担当(当時)として教科書問題の事等、幾つか候補がありました。
 その中で自分にしか書けないことは何だろうと考えました。そういえば琉球新報社内で「自分はネット右翼だった」と公言しているのは私ぐらいだなと思ったのです。
 であれば何故、自分が「ネット右翼」だったのか、そして、考えが変わったのはどうしてなのか、ということを伝えたいと考えました。
Q:「記者ですが」は冒頭、「学生時代、私は『ネット右翼』だった」と書き出しています。なぜ、自分を「ネット右翼」と定義したのですか。
A:「ネット右翼」という言葉も定義は、きちっと定まっているものではないと思います。
 ただ私が思う「ネット右翼」の定義としては、現場に行かないで、例えばインターネット上の情報で自分の考えを固め、「右」的な考えをネットで発信するというものではないかと考えました。そういう意味で、自分は「ネット右翼」だったと思っています。
 例えばネット上等で、よく言われているように「中国や北朝鮮を抑えるため、沖縄には基地が必要だ」という意見等です。日本政府は、そう説明しますが、私も過去、それを無批判に受け入れていました。

<ファクトチェックされていない情報鵜呑みに>

Q:影響されたネット上の情報というのはどのような内容ですか。
A:ファクトチェックを受けていない根拠のない情報や、個人の考えが、そのまま載ってしまっているブログ等です。ある意味、事実と反する情報でもネットではそれなりに影響力を持つ場合があります。ネットだけでなく、本を読む際にも自分に都合のいい情報だけを集めていたように思います。元防衛大学校の方が書いた本や防衛省が発行している防衛白書等も読んで、自分の考えをまとめていました。ネットだけで情報を得ていた訳ではありませんが、自分の考えを補強するために本等も読んで「私の意見は論文に基づいた考え方だ」と誇示していた、ということに近いかもしれません。

<「ミリタリー好き」が入り口に>

Q:自分が「ネット右翼」だと感じたのは何時頃からですか。
A:小学生の頃はイラク戦争に反対していた覚えがあります。明確なきっかけはありません。高校時代までは大分県で暮らしましたが今、考えると高校の後半位から、いわゆる「ネット右翼」のような事をしていたと思います。自衛隊の航空ショーに出向くなど戦闘機や戦車などミリタリー(軍事)に関するものに興味がありました。いわば「ミリタリーおたく」です。「ミリタリー好き」から安保への興味につながりました。「ネット右翼」になったのも、自分の場合はミリタリー好きが関係していたのかと思います。
Q:「沖縄には基地は必要だ」という考え方を持っていたと言っていましたが、「沖縄に基地は必要ない」という意見があることは知っていましたか。
A:それはもちろん把握していました。私が琉球大学に入学するために沖縄に来たのは2010年4月で、現在8年目になります。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会(2010年4月25日)の前後だったと思います。その当時は民主党政権で一旦、白紙にされた米軍普天間飛行場の移設先について、数日毎に新たな候補地が示されていくような時期でした。
 せっかく自民党政権が苦労して名護市辺野古に移設先を決めたのに、何故ひっくり返すようなことをするんだろうと感じていました。

<「沖縄には米軍基地が必要だ」を確かめるため>

Q:進学を機に沖縄へ。琉球大学に進学した理由は何ですか。
A:「沖縄には米軍基地が必要だ」と思っていたので、それを自分の目で確認したいという気持ちがありました。政治や国際関係を専攻し、最初は「ネット右翼」のスタンスを維持していました。自分なりに正しいと思っていた国家論を振りかざしていましたね。
 友人からは「地に足が付いていない」とよく言われていました。「おまえは沖縄に根ざしていない。沖縄にいる意味はないのではないか」というような内容のことを言われた記憶もあります。大学時代の友達に会うと今もからかわれますね。「あのおまえが琉球新報に?」と言われることも少なくありません。

<琉球新報の論調に怒りさえあった>

Q:琉球新報に入社しましたがメディア志望だったんですか。
A:なんとなくマスコミに入りたいと思っていました。イラク戦争の時、米軍と共に行動しながら取材している記者のテレビ番組を見た時に、マスコミに興味を持つようになりました。いろいろな人に話を聞くことは楽しいだろうなと思い、新聞記者になりたいと考えるようになりましたが、直接のきっかけは思い出せません。ただ当時、琉球新報への入社は考えてもいませんでした。
A:当時、琉球新報についてはどのように思っていましたか。
Q:ちょうど大学時代に東日本大震災があり、米軍の「トモダチ作戦」に共感を覚えていました。琉球新報は「トモダチ作戦」について米軍が自分達の宣伝活動に使っているのではないか、と思われるような論調で報道していると受け止めていました。「現場の人達は頑張っているのに何を考えているのだ」と怒り、そういう思いを自分のツイッターに書き込んだ記憶があります。

<「論破してやろう」と辺野古・高江へ>

Q:「記者ですが」に、「考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や東村高江の現場を目の当たりにしてからだ」とあります。大学時代には辺野古や高江の現場をよく訪ねたのですか。
A:大学3年だった2012年の夏、ヘリパッド(ヘリコプター発着場)造成に対する反対運動が行われている東村高江の現場に足を運びました。座り込んで反対運動をしている人達が何を考えているのだろう、ということに興味がありました。ただ、あわよくば、座り込みをしている人達の考えを論破してやろうという思いもありました。座り込んでいる人に声をかけ、活動をしている理由について尋ねると「生活を守るためにヘリパッドを造らせない」ということでした。米軍が沖縄に駐留していることについて、座り込んでいる人が「米軍の力に頼るのは疑問がある」と言ってきました、それに対して私は「中国の公船が尖閣諸島の近くに入ってきているし、北朝鮮もミサイルを打ち上げている。米軍の力があるから、この程度で済んでいるのではないか」と反論しました。そうしたら、後方で話を聞いていた高江に住む男性から「おまえは違う」とぴしゃりと言われました。 自分が考えていることを主張して「間違っている」と面と向かって指摘されたことは友人以外では初めてでした。

 その後のやりとりは覚えていませんが、現場に向き合い続けている人の言葉だったからこそ、心に突き刺さったのだと思います。悶々としたものを抱えたまま現場を離れました。

<現場を知り、見えてきたこと>

Q:それが変わるきっかけになったということですか。
A:それをきっかけに時々、辺野古の現場にも行くようになりました。新基地建設に反対する集会にも足を運びました。男性から指摘された後は、悶々とした思いを持ちながら授業等で沖縄の歴史を学ぶことになりました。住民が名護市辺野古に米軍キャンプ・シュワブを誘致した訳ではないということにも気づくことができました。ただ大学3、4年だったこの時期は、人に指摘されたからといって自分のスタンスを変えるのは嫌だなとも思っていました。その頃、丁度、自民党の安倍政権が誕生し、特定秘密保護法や集団的自衛権等の政策を次々と進めていきました。それらは日本の国の形を、比喩ではなく「戦争ができる国」にしてしまうのだろうなと思うようになりました。そして、そのような流れの中にある「沖縄」について考えるようになりました。それと同時に安倍政権は沖縄県民が強固に反対している米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、県民の声を無視する形で強引に推し進めようとしていました。こんなに沖縄の人達が抗い続けているのに、それが通らない、県民が反対しても強行するというのはおかしくないか、と思い始めました。
 この頃になると、自分のスタンスを維持し続けるのが論理的な事だけでなく、精神的にも苦しくなってきました。それなら考えを変えた方が自分に正直ではないかと思いました。
 そんなとき2014年8月25日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民集会(止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動)に足を運びました。
 琉球大学大学院人文社会科学研究科1年の頃でした。その際、琉球新報の記者に取材され、記事として掲載もされました(2014年8月25日付21面)。振り返ると、いわゆる「ネット右翼」というスタンスから完全に離れたのは大学院生時代だったと思います。

<「反対」の根底にある沖縄戦>

Q:学生時代に沖縄戦のことを学んでいたのですか?
A:大学では安全保障等を研究していたので、沖縄戦は教養の講義で学ぶ程度でした。
 ちょうど高校1年生の頃、文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述削除・修正された問題で、教科書検定意見の撤回を求める県民大会がありました。当時は大分県の高校生だったので、あまり記憶にはありません。その後の文科省と県内の対立や、やりとりにも特段関心はありませんでした。
 ですが大会で高校生の代表2人が「この記述をなくそうとしている人達は、沖縄戦を体験した御爺、御婆が嘘をついていると言いたいのだろうか」と言っていた事だけはテレビで見て、鮮明に覚えています。同世代の訴えだったからこそ、沖縄に特段関心のなかった当時の私にも、響いたのかもしれません。沖縄戦のことをきちんと知るようになったのは入社してからです。入社後に教科書検定があり、文化部の教育担当になった私が沖縄戦に関する記述について、記事を書くことになりました。当時の教育担当キャップに原稿を見せたら「君は安保のことは詳しいかもしれないが、沖縄戦のことは何も分かっていないな」と言われました。がつんときました。入社二年目には、ちょうど教科書検定の県民大会から10年ということで、「集団自決」(強制集団死)のおきた渡嘉敷島に出向いたり、東京で教科書執筆者や編集者を取材したりして、当時を振り返る記事を書きました。
 当時の新聞記事や資料を読み込んでから取材をしましたが、その取材の原動力となったのも、当時の教育キャップの言葉だったと思います。辺野古の現場などに足を運ぶと、座り込んでいる人が沖縄戦について話してくれることがあります。沖縄戦の記憶は、体験した人の記憶だけではなく、ある種世代を超えて共有されているのだろうと思います。 それが脈々と残っているという事が、私を変えた一因にも繋がっているような気がします。

<現場でデマだと実感>

Q:「記者ですが」には県民大会に参加した際、「ネット上のデマが現実離れしていると感じた」と書いています。
A:「反対運動をしているのはお金をもらった人々」というデマです。現場に足を運ぶと、現場を見ていない人が言っているのだなということが分かりました。現場には家族連れも普通の学生も、いろいろな立場や世代の人がいますから。辺野古のゲート前で一日取材をして記事を出すと、どうしても内容は抗議行動をしている市民らが警察に排除されるというような事を伝える内容になりがちです。ですが実は現場はずっと緊迫している訳ではありません。大学の講義で「座り込みの時間の多くは暇だ」と言われた事を思い出しました。
 楽しげに歌を歌ったり、踊りを踊ったりして楽しげな雰囲気に包まれる事もあります。

<中国の人に会ったことない>

Q:お金を貰っているから反対運動をしている、というネット上の言説に対しては間違いだと思いますか。
A:はい。むしろ現場に来るためにガソリン代やバス代等の負担は大きいと思います。
 ネットでは、よく中国等の勢力がお金を出して運動を扇動し、日米安全保障体制を崩そうとしている、とか、現場には中国人や韓国人がいっぱいだ、という記述をよく目にします。
 実は私も、そのように思っていた時期もありました。でも私自身は辺野古や高江の現場に足を運んで中国の人に会ったことは一度もありません。もし、いたとしても一市民として、この状況が問題だと思って参加しているのだと思います。「ニュース女子」(東京MXの番組)で高江の現場について「中国人はいるわ、韓国人はいるわ」と伝えていました。番組を見て「本当に現場に行ったことがあるのか」と怒りを感じました。
 ただ昔だったら信じてしまっていたのではないか、もしかしたら喜んで、その主張に飛びついていたのではないか、とも思います。両論併記についても昔は双方の意見をしっかり書くべきだと思っていました。でも今は、圧倒的に力の差がある中で両者の中間に立つということが本当に公平なのか、ということだと考えるようになりました。

<批判は真摯に受け止める>

Q:今回の「記者ですが」は、かなり反響がありますね。どのように感じましたか。
A:「記者ですが」について意見が書いてあるツイッターなどSNSを数多く見ました。
「こいつは何も反省していない」「自分は変わることができて良かったね」等という批判も沢山ありました。「ネット右翼で多くの人を傷つけていたことについての反省はないのか」という内容の指摘もありました。確かに私は「ネット右翼」だった当時、特定の個人を「極左だ」とかレッテルを貼って周りの人に話をしていたことがありました。
 人を殴ったり、お金を盗ったりした訳ではないので、コラムが紙面に掲載されて、そうした指摘があるまで、私に罪の意識は正直ありませんでした。人を傷つけたという意識もありませんでした。だからこそ「反省はないのか」等の批判は真摯に受け止め、胸に刻みつけておかなければいけないと思っています。ただ今回、批判も予測しながらも「ネット右翼でした」というタイトルでコラムを書いたのは、こんな私だからこそ、伝えられることがあるのではないかと思ったからです。
Q:「ネット右翼」と呼ばれる人達からの反応もあったとか。
A:「『ネット右翼』だったと言っているのは嘘だろう」というような批判もありました。
 それに対しては「はい。ネット右翼でした」と答えます。「シールズの元メンバーだ」というような指摘もあります。私は大学院生時代「ゆんたくるー」(若い世代に基地問題の現状を知ってもらおうと活動している県内の大学生らでつくるグループ)の集まりに参加した事はありますが、メンバーではなかったし、シールズのメンバーになった事もありません。
 ただ、もしシールズの元メンバーだったとしても特に問題はないと思います。
「実名を書いて言うことは勇気のいることだと思う」という内容の反応もあり、救われた思いもしました。いろいろな反応の中で、「『対話は意味がないものではない』と気付かせてくれたのはありがたい」という内容のものもありました。人の思想を「左」「右」にレッテルを貼って分けることには違和感を覚えています。自分と違うスタンスにいる人に対しても意見を言ったり、意見を聞いたりすることは意味のあることだということを感じてくれた人もいたようです。

<互いの〝レッテル〟を乗り越えたい>

Q:「記者ですが」掲載後の反響等を踏まえ、今どう感じていますか。
A:批判はあると思いますが、書いたことを後悔はしていませんし、別の題材で書けば良かったとも思っていません。4月から北部報道部に配属されますが、北部に行くに当たっての決意表明でもありました。
Q:「記者ですが」では、「かつて私のような人達に現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている」と結んでいます。
A:どんな立場や考えの人であっても、事実に基づいた力ある記事なら、人の心にちゃんと届くと思います。記事をきっかけに、例えば「一度ぐらいは辺野古の現場に足を運んでみようか」とか「現場に行った人に話を聞いてみようか」等、少しでも何かしらの行動につながればいいと思っています。〝現場〟に行く事等、考えてもいなかった人や「ちょっと怖そう」と思って敬遠している人も多いかもしれません。私が現場に行ったのは逆に、座り込みしている人を論破しようと思っていたという事もあります。残念ながら「琉球新報は左だ」等というレッテルが貼られているのも事実です。そのレッテルに邪魔されて、書いたことが真っすぐに届いていないと感じて苦しくなることもあります。

 そんなレッテルは、私達から打ち破る必要もあるかもしれません。そして、もしかしたら異なる立場から打ち破ってくれる人もいるかもしれません。今更ですが「ネット右翼」という表現も、一つのレッテル貼りなのでしょう。そんな言葉こそが、対話の機会を遠ざけている要因の一つなのかもしれません。私が『ネット右翼だった』と自認すること自体も、過去の私にレッテルを貼る行為なのかもしれません。いつの間にかつくりあげてしまった〝レッテルの亡霊〟に邪魔されて、対話ができないような事態を飛び越えられるような記事を書いていくことができれば、と考えています。そのためには私自身も、レッテルの亡霊から解き放たれる必要があるのだと考えます。今回のコラムがいろいろな論議を呼んだことも含めて、私自身がレッテルの亡霊から離れる一歩になったと考えています。
~ プロフィル ~
塚崎 昇平(つかざき・しょうへい):琉球新報社北部報道部記者。1991年、大分県生まれ。
大分県内の高校から沖縄県の琉球大学に進学。2016年に琉球大学の大学院を修了し同年琉球新報社に入社。2018年3月まで文化部で教育を担当。同年4月1日から米軍普天間飛行場の移設問題等を抱える名護市を管轄する北部支社に配属となった。(琉球新報)
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◎5月3日(木・祝)午後1時半~扇町公園で大集会&デモ!!


全国大学人権教育交流会/第50回企画《研究会のご案内》

テーマ:「『在日』をめぐる状況は変化したか」
○開催日:2018年5月20日(日)13時~17時(受付は12時30分~)
○場 所:大阪人権博物館(リバティーおおさか)大阪市浪速区浪速西3-6-36
        Tel:06(6561)5891/FAX:06(6561)5995/http://www.liberty.or.jp
司会:金 洪仙さん(大阪国際大学講師)
報告1「ヘイトスピーチと闘う」呉 光現さん(聖公会生野センター総主事)
報告2「在日コリアンの権利獲得運動と私」飛田 雄一さん(神戸学生青年C館長)
*なお管理者は、本交流会の事務局を担っています。


《ブログ「リベラル広場」では次の事業も行っています。》

職場(仕事)における労働・人権相談(ハラスメント・メンタルヘルス等、含む)
*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。
②採用コンサルタント。
*出版実績:『公正採用と採用選考・応募と人権のハーモニー』絶賛発売中!
◎なお寄せていただく相談意見等は、とりあえず全てEメールで送信してください。
<送信先Eメールアドレス>yutan0571@yahoo.co.jp
●費用:交通費等、実費+α(若干-協議)

(民守 正義)