リベラル勢力の再構築で安倍ファシズム政権退陣へ(83)

リベラル勢力の再構築で安倍ファシズム政権退陣へ(83)





《【反・脱原発】シリーズ!》


  <ダム底:高濃度セシウム-たまる汚染、募る不安>

 東京電力福島第1原発周辺のダムに放射性セシウムが溜まり続け、実質的に「濃縮貯蔵施設」となっている。有効な手立ては見当たらず、国は「水は安全」と静観の構えだ。だが福島県の被災地住民には問題の先送りとしか映らない。原発事故がもたらした先の見えない課題が、また一つ明らかになった。

〔国「放置が最善」/地元「決壊したらどうする」〕

「このままそっとしておく方がいいのです」。福島県の10のダム底に指定廃棄物の基準(1キロ当たり8000ベクレル超)を超えるセシウム濃度の土が溜まっている事を把握しながら、環境省の担当者はこう言い切る。

 同省のモニタリングでは、各ダムの水に含まれる放射性セシウムは1リットル当たり1〜2ベクレルと飲料水の基準(同10ベクレル)を大きく下回る。ダム周辺の空間線量も毎時最大約2マイクロシーベルトで、「近づかなければ直ちに人の健康に影響しない」。これが静観の構えを崩さない最大の理由だ。今のところセシウムは土に付着して沈み、底土からの放射線は水に遮蔽されて周辺に殆ど影響を与えていないとみられる。

 国が除染等を行う事を定めた放射性物質汚染対処特別措置法(2011年8月成立)に基づく基本方針で同省は「人の健康の保護の観点から」必要な地域を除染すると規定している。ダムに高濃度のセシウムが溜まっていても健康被害の恐れが差し迫っていない限り「法的に問題ない」というのが同省の見解だ。「ダムが水不足で干上がった場合は周囲に人が近づかないようにすればいい。もし除染するとなったら作業期間中の代替の水源の確保はどうするのか。現状では除染する方が、影響が大きい」と担当者は説明する。こうした国の姿勢に地元からは反発の声が上がる。

「環境省はダムの水や周囲をモニタリングして監視するとしか言わない。『何かあれば対応します』と言うが、ダムが壊れたらどうするのかと聞いても答えはない。町民に対して環境省と同じ回答しかできないのが辛い」。政府が来年春に避難指示区域の一部を解除する浪江町のふるさと再生課の男性職員が溜め息をついた。町内の農業用ダム「大柿ダム」では農水省の調査でセシウムの堆積総量が約8兆ベクレルと推定(13年12月時点)されている。農水省はダムの水が使用される前に、堆積総量や水の安全性を再調査する方針だ。福島県産の農水産物は放射性物質の規制基準を下回ることが確認されてから出荷される。それでも町の男性職員は「幾ら水が安全だと言われても、ダム底にセシウムが溜まったままで消費者が浪江産の農産物を手に取るだろうか」と風評被害への懸念を口にする。同町から福島県いわき市に避難中の野菜農家の男性(57)は「国は安全だと強調するばかりで抜本的な解決策を検討する姿勢が見えない。これでは安心して帰還できないし、農業の再開も難しい」と憤りを隠さない。

〔森林から流入、今後も〕

 環境省が言うように放置して大丈夫なのか。同省のモニタリング調査では、10ダムの底土の表層で観測されたセシウム濃度は年月が経過しても必ずしも右肩下がりになっていない。大柿ダムでは15年11月に突然、過去2番目となる1キロ当たり10万7000ベクレルを観測するなど各ダムでバラツキがある。理由は不明だが、大雨の後に数値が上がる傾向があるという。

 環境省の担当者も「(10ダム)全体を見るとほぼ横ばい」と話す。

 原発事故直後、森林に大量に降り注いだセシウムが時間をかけて川に流れ出し、ダム底で濃縮される現象は今後も続くとみられる。ダムのセシウム総量調査に着手する国立環境研究所の林誠二・研究グループ長は「土や泥に吸着したセシウムが今後、環境次第で水に溶け出す恐れがある」と指摘する。これまでの調査によると、微生物が活性化し、アンモニアが水中に増える夏場は、ダム低層の水のセシウム濃度が表層の1.5倍になる事が確認された。アンモニウムイオンがセシウムより強く土に吸着するため、セシウムが溶け出している可能性があるという。今のところ人体に影響しないとされるレベルだが、林グループ長は「将来、上流域に住民が戻った時、生活排水等による水質変化でセシウムが溶け出しやすい環境になる事は否定できない」と懸念する。 ダムには年間で平均5センチ前後の土砂がたまるといわれ、セシウムを吸着した土が既に30センチ近く堆積しているダムもあるとみられる。林グループ長は「巨大地震によってダムが決壊した場合や土砂でダムが満杯になった後はどうするのかという問題もある。将来世代にツケを回さないという視点で調査をしたい」と話す。東日本大震災では福島県須賀川市の農業用ダムが強い揺れで堤防に亀裂が入って決壊し、下流域で8人が死亡・行方不明となった。「ダム底に放射性物質が溜まるという事態は想定されていなかった」。河川工学が専門の大熊孝・新潟大名誉教授は驚きを隠さない。

「浚渫すべきかどうかは分からないが、ダム自体の強度を調査しておく必要がある」と指摘する。 放射性物質の動態調査を続ける恩田裕一・筑波大教授(水文地形学)は「手をつけない方がいい」という立場だ。「高濃度のセシウムが溜まったままでは気持ち悪いという思いは分かるが、水には問題がないので今は閉じ込めておいた方がいい」と話す。原発の危険性を訴えてきた今中哲二・京都大原子炉実験所研究員は「打つ手がないのであれば、移住か帰還かを判断する材料となるデータを住民にきちんと示すべきだ」と語る。 国立環境研究所の調査に協力している日本原子力研究開発機構(JAEA)は、ダム底でセシウム濃度を測定する新型ロボットを開発中だ。高さ約1メートル、重さ140キロの箱形。遠隔操作でダム底に接地し、1地点1〜2分で濃度を測る。JAEA福島研究開発部門のサブリーダーは「表層を広域に調べれば新たにたまるセシウムの総量を知る事ができる」と話す。小型化や操作性の向上を図り、今年度中の完成を目指す。(毎日新聞)



 <風向き無視、バス確保も不透明:鹿児島市原発避難計画の実態>

 鹿児島市の人口は約60万人、この内、九州電力川内原子力発電所(薩摩川内市)の30キロ圏内=緊急防護措置区域(UPZ)となる郡山地区には487世帯、879人(H27年4月1日現在。鹿児島市調べ)が暮らす。同市の原発避難計画で対象となっているのは、人口全体の0.1%の過ぎない郡山地区だけで、大多数の市民は見捨てられた状況だ。原子力防災の不備は明らかだが、市民の安全を無視した鹿児島市の原発避難計画は、対象地である郡山地区の住民さえ守ることのできないデタラメな内容となっている。

〔“風向き”無視した避難計画〕

 バスによる郡山地区住民の緊急避難について「鹿児島市原子力災害対策避難計画」(平成25年11月策定)が定めた自治会毎の集合場所、避難経路、避難所までの距離、避難所の一覧表がある。単位自治会毎に近くの公共施設に集まり、市が用意した避難用のバスに乗って所定の避難所に向かう計画となっている。避難所までの距離は短いルートで16キロ、長いルートだと33キロとかなりの差があり、かなり乱暴な計画だ。郡山地区以外の鹿児島市民は自家用車で避難するしかなく道路混雑は必至。その中で、この計画通りの通行が可能になるとは思えない。最大の問題は避難所の位置。いずれのバスも郡山地区の南もしくは南東方向―つまり鹿児島市の中心部―に向かう事になっている。鹿児島市が策定した郡山地区の避難計画は、川内原発の事故で放出された放射性物質が、全て鹿児島市とは違う方向に向かう事を想定している。風向きによって避難所や避難ルートを変えるという発想が欠如しており、まさに机上の空論。形だけの計画なのである。次に原子力規制委員会への情報公開請求によって入手した緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム=SPEEDIのデータ。平成24年10月と25年12月に実施された原子力防災訓練の時に取られたものである。SPEEDIのデータはリアルタイムで刻まれるため、データ図は特定時刻の拡散予測に過ぎない。それでも放射性物質が拡散する方向が、風向き次第であることが分かる。10月と12月では、まるで逆の方向に拡がっていくのだ。季節によって風向きは変わるし、数分で違う方向に吹く事さえある。放射性物質が鹿児島市内に向けて拡がる事は「ある」と考えるのが普通。その場合、市の避難計画では対応できない。

〔避難用バス、確保の目途、立たず〕

 避難計画の核になっているのは「バス輸送」。希望する住民をバスで避難所まで運ぼうというものだが、肝心のバス乗務員を確保する目途さえ立っていない。昨年12月20日に実施された鹿児島市の原発避難訓練に参加した市営バスの2台の乗務記録がある。郡山地区で避難訓練に参加したのは「879人中40人」(市側の説明)。大多数の住民がそっぽを向いた形だが、乗務記録に記された走行距離によれば、僅か40人ほどの住民を運ぶために2台とも130キロ前後の距離を走破していた。

 乗務員がハンドルを握っていたのは、午前11時から午後6時半までの約7時間。住民はもちろん、バスの乗務員も危険に晒されるということだ。住民の緊急避難が決断されるのは、モニタリングポストで「毎時500マイクロシーベルト」の放射性物質が測定された時と定められている。一方、同じく国が定めた年間の被曝許容量は1ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルト。バスの乗務員が2時間緊急輸送に従事したら、たちまち年間の許容量を超える放射線を浴びるという事になる。

 鹿児島県が原子力災害を見越して県バス協会と結んだ「協定」と「原子力災害時等におけるバスによる緊急輸送等に関する運用細則」によれば、バス輸送の協力要請が行われるのは≪運転手等の計画被曝量を算出し、平時の一般公衆の被曝線量限度である1ミリシーベルトを下回る場合≫のみ。協定に参加していない市営バス(鹿児島市交通局)といえども、簡単にバスを出すことはできない。鹿児島市交通局が保有するバスは204台。車両はあっても原発避難に対応可能な乗務員は現在のところ3人しかいないというのが実情だ。 前掲の乗務記録を書いた2名と、もう一人が出動を命じる事のできる「管理職乗務員」。公務員運転手は153人いるが、この内59人は嘱託職員であるため原発避難では出動の命令が下せない。正規の公務員運転手が92人いる計算だが、管理職の3人を除く全員が「労働組合」に加盟しており、この人達は原発避難についての説明さえ受けていないという。避難用のバスは15台必要だというが、乗務員をどう確保するのか―。鹿児島市に確認したところ「これから、乗務員が加盟する全ての組合と協議する」のだという。

 組合側がどう判断するのか判然としないが、川内原発の再稼働から1年以上過ぎたというのに、この悠長さ。本来、米国等諸外国では「住民避難計画」自体、「原発安全基準」に含まれているのが常識で、電力会社と原発の存在する都道府県・市町村等が、もっと本気で「住民避難計画」策定に、協同して取り組むべき事を肝に命じなければならない。(参考文献-日刊ゲンダイ/文責:民守正義)



<高速増殖炉「もんじゅ」廃炉の裏で、経産省や電力会社らが新たな利権貪る>

 1983年の原子炉設置許可から33年、94年の初臨界から22年、その間、実働僅か250日で1兆2000億円もの莫大な予算が投じられてきた高速増殖炉「もんじゅ」が廃炉に向け動き出した。使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再び燃料とすることで“夢の原子炉”“核燃料サイクルの本命”といわれた高速増殖炉「もんじゅ」。だが95年8月29 日の初発電から4カ月も経たない12月8日に冷却材のナトリウム漏れ事故が発生し運転が停止され、5年後の2010年5月には再び運転が開始されたが、その45 日後には炉内中継装置の落下事故で再び運転が停止された。その後も数々の点検漏れ等の不祥事が続き、2013年には原子力規制委から事実上の運転禁止命令が出されるなど再稼働の目処がつかない状態が続いていた。

 この間、設備維持等で年間200億円もの公費が投入されていた事等から9月21日、ついに政府も廃炉も含めた抜本的見直しを年内までに行う事を発表、これは事実上の「もんじゅ」廃炉決定と言っていい。しかし間違えてはいけない。「もんじゅ」が廃炉になるからといって、核燃料サイクル構想自体が頓挫した訳では決してない。「もんじゅ」を廃炉にする一方で、政府は新たな高速炉開発に着手、核燃料サイクルをさらに推し進める方針を打ち出したからだ。「政府が、高速増殖炉『もんじゅ』について廃炉を含め抜本的に見直す事を前提に、新たな高速炉開発の司令塔機能を担う『高速炉開発会議(仮称)』を設置する方針である事が21日わかった」 (朝日新聞DIGITAL9月21日)

「もんじゅ」廃炉と共に発表された新たな司令塔組織の設立。その背景の一つには、八方塞がりとなった「もんじゅ」を管轄する文部科学省から、その利権を奪う経済産業省の権益争いがあった。というのも「高速炉開発会議」は「もんじゅ」を所轄する文部科学省ではなく経済産業省が中心となり、他にも電力会社や原子炉メーカーなど民間企業も参加するものだからだ。つまり、これは経産省を筆頭とした原発マフィアが勢ぞろいして、新たに核燃料サイクルを推進するための場であり、更には、そのため投入される莫大な予算を“利権分配”をする場なのだ。

 廃炉報道のあった21日、こんな報道がなされている。「存続を求める文部科学省と、もんじゅ抜きの核燃料サイクル政策を目指す経済産業省の主張が対立。最後は政権に強い影響力を持つ経産省の意向が通る形で決着した」「原子力規制委員会が昨年11月に(もんじゅの)運営主体の見直しを勧告したのを受け、文科省は電力会社等に参加を呼び掛ける形で新たな運営主体を模索。しかし政府関係者によると『経産省が邪魔をし、企業に応じないよう求めた』のが内幕という」そして「もんじゅ」に代わり、経済産業省が推し進めるのがフランスの高速炉計画「ASTRID(アストリッド)」プロジェクトだ。これは工業用実証のための改良型ナトリウム技術炉だが、この技術開発を日仏で進め2030年までの実用化を目指すという。しかも、この高速炉計画は既に2年前から決まっていたものだ。

「両首脳は、経済成長においてはイノベーションが重要であることで一致し、会談直後の署名式においては、安全性の高い新型原子炉ASTRIDを含む技術開発協力に関する取決めが著名されました」(外務省が発表した日仏首脳会談概要より)これは2014年5月5日に行われた安倍(独裁)総理とフランス・オランド大統領の首脳会談で高速炉技術設立に交わされた協力合意だが「ASTRID」プロジェクトは既に2年前から安倍政権の下で “国策”として決定していた。そして新たな「ASTRID」計画があったからこそ、失敗作の「もんじゅ」の廃炉を決定できた。つまりこれ以上「もんじゅ」に固執すれば莫大な予算への批判は必至だが、しかし目先を変えて「ASTRID」という新たな事業とすれば、国民からの批判もかわせるし新たな予算もつけられる。そのため文科省の「もんじゅ」から経産省の「ASTRID」に名前を変え移行した。それだけだ。しかもこれまで投入されてきた1兆2000億円に加え「もんじゅ」の廃炉費用は新たに3000億円もが試算されているが「もんじゅ」失敗の原因究明はおろか責任論さえ上がっていない。「ASTRID」計画にしても未だ基本的な設計段階で、既に計画が遅れているだけでなく、予算も基本設計が終了予定の2019年までしかない。地震大国日本で建設するには耐震性に問題があるとの指摘もある。また当初フランス側は「ASTRID」の実験施設として「もんじゅ」を使う事を要望していたが、それもできなくなった。

 そもそも高速炉自体、冷却材であるナトリウムを取り出す技術が確立されていないため、世界でも実用化されてはいない。それでもなお政府は“夢の原発”“第4世代の新型冷却高速炉の研究”等という美名の下「ASTRID」プロジェクトを進める方針だ。また核燃料サイクルの堅持だけでなく、各地の原発の再稼働、青森県・六ヶ所村の再処理工場竣工、プルサーマル推進、MOX燃料加工工場の建設、青森県むつ市の使用済み燃料中間貯蔵施設の竣工等を推し進め、そのために莫大な国費が投入されてきた。しかも早速産経新聞が「高速増殖炉『シンもんじゅ』を目指せ:核燃サイクルは国の生命線だ」(9月18日)と掲載すれば、読売新聞も負けじと「もんじゅ「廃炉」 核燃料サイクルを揺るがすな」(9月22日)と社説に掲載する等、安倍政権親衛隊メディアは、それを後押しし煽り続ける。実現が疑問視される高速炉だが、政府や原発ムラはそれに頓着する気配すらなく、新たな計画に莫大な金をつぎ込むだろう。福島第一原発の収束さえままならないなか、行き場のない高レベルの放射性核廃棄物の解決策は、核燃料サイクルではなく原発関連施設の全ての停止と廃炉とういう「原発関連施設-総撤退」しかないはずだ。(基本文献-リテラ/管理者:一部編集)



<「ふるさとを返せ」津島原発訴訟:裁判官ももらい泣きした2人の母の意見陳述>

 原発事故による全町避難中の福島県浪江町。その中でも特に放射能汚染の酷い津島地区の住民達が国や東電に原状回復と完全賠償を求める「ふるさとを返せ-津島原発訴訟」の第3回口頭弁論が23日午後、福島地裁郡山支部で開かれた。息子に被曝を強い、息子から平和な日々を奪った原発事故。2人の母親の涙ながらの意見陳述に裁判官も貰い泣きした。

「俺達が何か悪い事でもしたのか」。原告達はビラ配りやデモ行進で怒りを口にする。〝安全神話〟に覆われてきた原発。一度、事故を起こせば、か弱い民に鋭い牙を剥く。これが原発の現実だ。/次回期日は11月25日14時。

【被曝させられた息子。募る悔しさ】

 間取り1Kのアパートに5人。窪田幸恵さんの避難生活は、狭さとの闘いから始まった。2011年3月14日の午後に避難を開始。1週間ほど埼玉県内の親戚宅に身を寄せたが肩身が狭く気を遣った。福島県福島市内で借りたアパートがワンルーム。そこに両親と妹、そして当時10歳の息子と共に入った。兼業農家として、津島の肥沃な大地に囲まれていた生活が一変。

 当然ながら寝返りも打てない。ストレスは極限に達し、口数の減った息子は、段ボール箱を利用した〝自分の部屋〟を部屋の隅に作った。

「辛い思いをさせてごめんね」。悪いのは原発事故だった。

 別のアパートに転居するまで、100日ほど厳しい生活が続いた。

 一方で自身も職場でのパワハラに悩まされていた。福島市内の職場では、浜通りからの避難者という事で上司から大声で怒鳴られるなど露骨に苛められた。異動願いが受け入れられ、福島市の女性が上司の部下になると、態度は一変して優しくなった。狭い〝わが家〟で何度も泣いた。

「でも、苛めに遭ったのが息子でなく私で良かったと思います」。

 震災前に離婚。息子は自分が守るのだと必死に生きてきた。息子に無用な被曝をさせてしまったという後悔が消えない。甲状腺検査の結果は、自身も息子もA2判定。見つかった膿胞が癌化しないか不安な日々が続いている。原発事故当時、情報は町民に伝わって来なかった。県の原子力センターで働いていた経験から、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の存在は知っていた。ニュースでは原発の水素爆発(実際は「福島第3原発は、広島・長崎に次ぐ核爆発」だった)を伝えている。しかし避難すべき状況なのか、何も分からなかった。津島にある役場の支所に電話で問い合わせた。町職員から返ってきた言葉が、逆に事態の深刻さを表していた。

「自分達の判断で逃げてください」。町民の避難所となっていた津島地区こそ、実は高濃度に汚染されていたという事を知ったのは、後になってからだった。悔やんでも悔やみきれない初期被曝。

「国も東電も、あのとき速やかに情報を開示してくれていたら、このような事にはならなかった。悔しい思いでいっぱいです」。「原発事故の責任を認め、私達が失ったものを償って欲しい」。窪田さんは被告代理人席を向き、きっぱりと言った。津島では大地に感謝し、収穫の喜びを家族で分かち合った。幸せな日々は戻らない。そして裁判官には、こう言って頭を下げた。 「子供達が受けた苦痛や心の痛みを二度と、将来の子供達に与える事の無いように、賢明なご判断を」。 

 窪田さんの顔をじっと見つめながら聴き入っていた裁判長は、軽く頷いた。郡山駅前で原告の女性は溢れる涙をハンカチで拭った。「私達はお金では買えないものを失ったんです」。放射能に激しく汚染され「帰還困難区域」に指定された浪江町・津島地区の住民達は、原状回復と完全賠償を国や東電に強く求める。

【「金で買えないもの」奪われた】

 津島の人々の温かさ。夫や息子の夢。門馬和枝さん(49)は、それら「金では買えないもの」を奪われた哀しみを語った。地域の人々は、成長が遅い病気を抱えて生まれてきた長男を、地域の子供として育ててくれた。どこへ行っても「元気がい?」、「学校は楽しいがい?」と声をかけてくれた。「対馬では、自分の子供も他人の子供も皆、分け隔てなく『津島の子』であり宝物なのです」。息子も7敬老会や神社の祭り等、地域の行事に積極的に参加しては、よさこい踊りやフラダンスを披露した。

 障害の有無など関係なかった。【管理者も障害者なので、気持ちがよく解る】原発事故が起きるまでは。親類宅を経て福島県相馬市に移り住み、身長の低い長男は遠巻きに指を差される事もあったという。

 高校1年生となったが身長は130センチほど。しかし津島ではハンディを感じさせるどころか人気者だった。徐々に積極性を失っていき、時折「また津島に帰りたい」と漏らすようになった。母として募る悔しさ。「原発事故がなければ、長男は好奇の目に晒されて辛い思いをする事がなかった」。津島には平和で穏やかな空間があった。意見陳述に添えられた写真では、地域の行事に参加した長男が満面の笑みを見せていた。夫は酪農家。家業に関心を持ち始めた次男と、いずれ一緒に仕事をする日を夢見ていたが、それも奪われてしまった。「帰還困難区域の人は日本の人口に比べれば限りなく少数です。少数者の声はいずれかき消され、忘れ去られてしまうのではないかと不安です」。

 原告団に加わったのは、津島の環境や生活を元に戻して欲しい、子供の健康を将来に亙って保証して欲しいという思いからだ。「将来、健康被害が子供達に現れたとき、国と東電はきちんと責任をとって欲しい」。「少数者の哀しみ、怒り、苦しみをしっかりと受け止めて欲しい」。

 門馬さんは、溢れる涙で言葉に詰まりながら訴えた。 「いつになるか分からないけど、思い出の詰まった自然豊かな津島に家族一緒に帰りたい」。弁護団は振り返った。「裁判官の1人はもらい泣きしていた」。

【「ゼニ金の問題じゃない」】

 訴訟には261世帯、658人が賛同しており、2015年9月29日に提訴。

 この日の第4次提訴で原告は476人になった。来年5月にも全員の提訴が完了する予定で、国や東電に対し①2020年までに空間線量を0.23μSv/hに下げること(原状回復)②2021年まで毎月、1人35万円を支払うこと(完全賠償)─等を求めている。しかし原告ら津島地区の住民が求めているのは金銭補償よりも原状回復だ。訴状では原告のこんな言葉が紹介されている。「津島での元の生活に戻ることが出来るなら、ゼニなんか一銭も要りません。ゼニ金の問題じゃないのです」。口頭弁論に先立って行われたデモ行進でも、何度も「愛する故郷を返せ」と声をあげた。郡山駅前で行われたビラ配りでは、原告の1人が「私達は何も悪い事をしておりません。

 1日も早く故郷を元通りにして頂きたい」と訴えた。

「故郷を返してください。マツタケやキノコ等の山の幸を返してください」という言葉に、原告の女性は涙をこらえきれずハンカチで目を覆った。「自分の家の畳の上で死にたいと願いながら、仮設住宅や病院で亡くなった人もいるのです」。原告らは言う。「原発も要りません。放射能も要りません」。そして「津島を廃村にするのか? 棄民は許さないぞ」と怒りを表した。

 ある男性は「俺達だって、ビラ配りやデモ行進なんてやりたくねえよ。何で被害者が、ここまでやらなきゃなんねえんだ」と呟いた。

 被害者が闘わないとならない不条理。しかし国や東電が原状回復など不可能と開き直り、賠償責任を否定している以上、声をあげ続けない訳にはいかない。次回期日は11月25日。国や東電への反論の他、原発の危険性を示した動画を法廷で上映する予定という。(基本文献-民の声新聞/管理者:一部編集)

(民守 正義)