リベラル勢力の再構築で安倍ファシズム政権退陣へ(74)
リベラル勢力の再構築で安倍ファシズム政権退陣へ(74)
《【マスコミの歪1】テレビとジャーナリズム 益々、露骨化する報道への圧力》
《【マスコミの歪1】テレビとジャーナリズム 益々、露骨化する報道への圧力》
<「テレビと原発報道の60年」七沢潔著>
NHKのドキュメンタリー制作者としてチェルノブイリ以来の原発問題のプロとして知られた著者。しかし「3・11」までの10年間、東電幹部らが加わったNHK経営委員会に目をつけられたか、現場を干されて放送文化研究所の閑職に。ところが「3・11」で急に現場から呼び出し。
実は、このときまでNHKのドキュメンタリー畑には原発の解る現役がいなくなっていたのだ。本書は過去5年間に書いた大小の記事に書き下ろしを加えた原発報道論。震災勃発の翌日、取るものも取りあえず車で現場取材に向かった体験リポートに始まり、現場の目ならではの論文が目白押し。活発だった原発報道が1年ほどで「原子力ムラ」の圧力に押されて次第に衰えていく様を自己検証した論文では、プルトニウムより遥かに短い「記憶の半減期」があると指摘。危険が起こったときに正常だと思い込みたがる日本人の「正常性バイアス」にも警鐘を鳴らす。
安倍政権にゴマをする一方のNHKに辛うじて残った正統派の気骨。
<「安倍官邸とテレビ」砂川浩慶著>
露骨なメディアへの介入を見せる安倍政権。実は政界入りの当初からマスコミ介入に熱心で、自民党幹事長時代には従軍慰安婦問題でNHKに圧力をかけ、番組を改編させた揚げ句、現場責任者に詰め腹まで切らせている。第1次政権時にもNHK人事に介入。第2次政権になると2014年末の総選挙前に官邸記者クラブの各テレビ局キャップ(責任者)を自民党本部に呼びつけ、報道の「公平中立並びに公正の確保」を求める文書まで手渡した。しかしNHKはこの事実一つ、未だに認めていないと著者は言う。
つまり籾井会長の前からNHKは「御用テレビ」に成り下がっていた訳だ。元民放連記者で気鋭のメディア研究者の著者はテレビ局側の弱腰にも苦言。放送免許事業故、テレビは新聞より弱い。だからこそ自覚せねばテレビジャーナリズムは滅ぶのだ。
<「デジタル・ジャーナリズムは稼げるか」ジェフ・ジャービス著 夏目大訳>
ニューヨークの大学で「起業ジャーナリズム」を教える著者。デジタル時代に存続可能な報道とは何かを「エコシステム」の観点で論じた。テレビジャーナリズムにも1章を割いて言及。著者によれば「テレビニュース、特にローカルのテレビニュースは最悪」。繰り返しが多く、針小棒大で天気予報に必要以上の時間と手間をかける。ニュースのコメントでは聞く方も聞かれる方も深刻そうに頷いているだけで、背後の映像も無意味なものが大半。著者は誰もがスマホやデジカメを持ち歩いている現代では「ニュース現場の近くにいる誰でも」が報道に参加するのがメディアの未来だという。現に「ウォール街占拠デモ」ではデモに参加した人物が20時間以上の生中継をウェブで行って話題になった。警察の暴力防止効果もありそうで、意外に現実味にも富んだアイデアか。(日刊ゲンダイ)
《【マスコミの歪2】井筒監督が「在日差別」描いた映画めぐるマスコミの差別的対応を暴露! 電通が土下座、産経は取材ドタキャン》
ヘイトスピーチ対策法が施行されて約3カ月。しかし同法が罰則等は設けない理念・欠陥法であるためか、ネット上では今も露骨な差別表現が飛び交い、ヘイトデモも頻繁に行われている。それどころかマスコミでは、むしろ逆の現象が続いている。反差別、反ヘイトの理念をもった映画やテレビが圧力や自主規制によって公開できない、放送できないという現象だ。映画監督の井筒和幸氏と、映画プロデューサーの李鳳宇氏が「ローリングストーン日本版」2016年8月号のヘイト問題特集で、そんなマスコミの実態を語っている。2人は在日差別問題をテーマにした05年の大ヒット映画『パッチギ!』の監督とエグゼクティブプロデューサーとしてタッグを組んだ関係なのだが、改めてこの『パッチギ!』という作品を巡って、既成のメディアが、どれだけ腰が引けた対応を行っていたのかを暴露しているのだ。11年前の映画なので、覚えていない人のために、先ずは、ざっくりと粗筋を説明しておく。舞台は1968年の京都。同地の府立東高校と朝鮮高校は反目し合って常日頃からケンカが絶えず、鉄ゲタ等の凶器を用いて殴り合う等の暴力が横行していた。その背景には、もちろん日本人による在日コリアンへの差別や、それに対する朝鮮高校の生徒達の怒りがある。そんな中、ひょんなきっかけで塩谷瞬演じる松山康介が沢尻エリカ演じるリ・キョンジャに一目惚れ。時に二人は国籍の壁によって引き裂かれそうになったりもするが、それでも恋の力をバネに周囲も巻き込みながら相互理解を深めていくという青春映画である。2007年にはキャストを一新して続編となる『パッチギ!LOVE&PEACE』が公開。ここでは、舞台が1974年の東京に移り、女優への道を歩み出したリ・キョンジャ(沢尻エリカに代わり、二作目では中村ゆりが演じている)が芸能界における在日差別の壁に苦しんだりと、前作の登場人物達が大人になってぶち当たる困難が描き出されていた。前述の対談では、先ずプロデューサーの李氏がテレビCMを打とうとした時に直面したトラブルをこう明かす。「『パッチギ!』公開の時ってワールドカップの予選をやっていたのですよ。で、日本対北朝鮮戦にスポットCMを打とうとしたのです、沢尻エリカ演じるリ・キョンジャが鴨川沿いで『このままずっと私と付き合って結婚したら、あんた朝鮮人になれる?』って言うシーンの。で、CMを作り考査も通ったのですけど、オンエアの1週間ぐらい前に、電通の人とテレビ朝日の部長が訪ねてきて『変えてくれないか』って。でもあの台詞が、あの映画を象徴している言葉なので『変えられない』って何度も断ったのですが、最後は『自分達は、このままじゃクビになっちゃう』って言って帰られないのですよ。もう土下座みたいな感じで……参ったなと思って」 このシーンは、それまでも何となく好き合っているという空気はあったものの、完全な恋仲ではなかった二人が遂にお互いの恋心を理解し、それと同時に、この恋には障壁があるという事を理解するシーンだ。 確かに、この映画の中で最も重要なシーンである。ただ、あくまでも画としてはロマンチックなシーンであり、街中の建物が破壊されるパニック映画やゾンビが蠢くホラー映画のCMは何の問題もなく、これがダメというのは、理解し難いメディアの保守性を象徴するようなエピソードである。 ただメディアのダメさを表すエピソードは、これだけに留まらない。 李氏は続けてこんな思い出を語る。「それと、監督に名古屋のラジオに出てもらった時の話も凄かった(笑)」「そのラジオ番組のスタッフの方が、“いやー素晴らしかったですよ、泣きました”って言ってね。“映画の話をして、じゃあこの辺で1曲”っていう流れだったのです。事前にリクエストしていた訳です。もちろん『イムジン河』を。そしたら“『パッチギ!』、素晴らしい!”って言っていたその人が“いや『イムジン河』は流せないんですよ”って(笑)」「ちょっと待ってください。これ、流しちゃいけない歌なんかないっていう映画なのだよ。その映画を観て、素晴らしいって言ってくれたのに、今まで語ってきたこと全部、吹っ飛びますよ、って(笑)」ここで語られる「イムジン河」は、言うまでもなく、朝鮮歌謡の原曲をザ・フォーク・クルセダーズが日本語に訳して歌い話題となった名曲。北と南で故郷が分断された朝鮮半島の悲しみを歌ったこの曲は、政治的配慮から当時、発売中止及び放送自粛の憂き目にあっている。映画の中で主人公は、大友康平演じるラジオ局のディレクターに誘われ、素人参加の歌番組で「イムジン河」を弾き語りする事になるのだが、いよいよ出番という段になってプロデューサーから「これは北朝鮮の歌だ」とストップがかかる。そこで大友康平は「歌っちゃいけない歌なんてないのだ!」と怒鳴って上司であるプロデューサーをボコボコに殴った上、スタジオから締め出し、放送を強行するという感動的なシーンがあるのだが、これと全く同じ自粛が、21世紀に入ってからも残り続けていたという、もはや苦笑するしかない話である。結局、映画とは違い、現実では、そのまま放送は自粛となってしまったらしい。そして極めつきは、映画に関して取材を申し込んでおきながら、映画の内容を見て急にドタキャンしてきたメディアまであったということだ。二人はこう語っている。李「産経新聞なんてインタヴューを申し込んできて、やっぱり無理ですって言ってきて。何故ですか?って聞いたら、上から“うちの社は、強制連行は無かったという方針なので掲載できません”と。
思い返すと、そういう事ばっかりだったのですよ」井筒「やっぱりスゴい新聞社でほんとに笑った」産経新聞の酷さは井筒監督にして「スゴい」と皮肉を言わせるほど一貫していたものであった訳だが、一連の軋轢から李氏は、こんな感想を漏らす。 「結局、メディア側の人達が最も臆病で、最も何かを変えたくない人達なんだなっていうのは凄く身に染みてわかりましたね」そのようなマスコミの差別意識に関する遅れは、これまで挙げてきたような広告や報道の世界だけではない。芸能界も同様だ。先ほど紹介した通り、続編となる『パッチギ!LOVE&PEACE』では、女優となったリ・キョンジャが徹底して、その出自を隠す事を迫られたり、在日である事が分かると一斉にバッシングが起こるという理不尽な状況が描かれる。同対談で井筒監督はこのように語る。「実際、映画界もテレビ界も多いし露骨だよ。10年前『パッチギ!』の時でも、キャンペーンでテレビにたくさん出たけど、控室にいたらプロデューサーが『監督!映画、凄いっすねぇ』って来てね。『ありがとうございます』言ったら『僕らも若い時にチョン高のヤツら、殺してやろうかと思いましたよ。まんまですもんね、この映画』って。【管理者:これは社会的問題として提起すべき重大差別発言!】それ、ただの懐かしさだけで(テメーの差別意識を棚上げして)片付けているのか?って(笑)」差別があった過去を振り返り、その反省を、これからの未来に繋げようという映画のメッセージが、このプロデューサーには何も伝わっていなかった訳である。芸能界における差別意識は酷いものだ。【管理者:「ちちんぷいぷい」「ひるおぴ」にガラクタ右翼ばかり出ている「そこまで言って委員会」等もそうだ】
「キネマ旬報」07年5月15日で井筒監督はこのようにも語っている。
「芸能界というのは、いい加減な社会の縮図ですよ。突飛な事をすれば撥ね除けられ、朝鮮人だと分かるとスポイルされる。力やコネクションを持った人だけが生き残る。これは典型的な日本社会の縮図です。でもキョンジャのような在日の若い子達は、OLや銀行員にはなれませんから、ホルモン屋で働くか、華やかな事をしたいと思うと芸能界に入るしかない。その芸能界は、何か共同体が生まれる訳ではなくて、自分の出自を隠して絶えず孤独に晒される、ゲットーみたいなものなのです。その事を描きたかった」井筒監督のフィルモグラフィーを辿っていくと、初の一般映画にして出世作である『ガキ帝国』にも在日コリアンが登場したりと『パッチギ!』のみならず、差別があるという現実と、その差別を強いられている人々の姿を描こうとしてきたが、彼は、その理由を前述「ローリングストーン日本版」の対談でこのように語っている。「運命というか、宿ですね、これが例えば東京の高級住宅街・成城で生まれたとしたら、宿命じゃなかったでしょうね。ところが関西には在日の人間って数多くいるから、物心ついた頃から近所に在日の人がおって、ブタの飼育ゴミ集めとかしてた訳よ。何の隔たりもなく、普通に接していた」
彼が不当な差別を受けている人々に勇気を与える作品をつくり続けているのは、そんな子供の頃の思い出があったからなのである。
ところで『パッチギ!』には、「俺はセックスと暴力が描かれてこそ映画だと思っている」(「週刊文春」12年6月14日号)という井筒イズム溢れる突出した暴力描写が多く登場する。 対立する高校生同士のケンカシーンでは、口いっぱいにビー玉を含ませた状態で顔を殴りつけたり、ボコボコにされて、のびてしまった相手に放尿した上、セメントを浴びせかけたり、見ているだけで痛みが伝わってくるような描写が多く登場する訳だが、これにも井筒監督のメッセージが込められている。「オリコン」05年2月7日号で監督は、このように語っている。「“ケンカしたらあかんで、いいかげんにしときや”って映画なのです。今の日本人は、日本の視点だけで、ものを見過ぎているのじゃないか、アジアの他の国があるから日本がある、人間も自分がいて他者がいて両者があって、それで生きている。それを僕と李鳳宇プロデューサーは伝えたかった」
そもそも「差別言動」は「心の殺人罪」でヘイトスピーチ法に罰則がないという事は「自民党改悪案らしい欠陥法」と言わざるを得ない。 しかし現実はヘイトスピーチの方が大手を振っている中で「差別はアカン!」と声を上げる方が、根性が必要で、かつ、その勇気を発露すると、実際は益々、居場所がなくなっていく現実がある。本来、メディアには「反差別・人権尊重」の社会的啓発の使命があるのだが、実態は真逆で山本太郎議員(生活)の言う通り、大手メデイアは「視聴者のためにあるのでなくスポンサーのためにあるのだ」が説得力を持たざるを得ない。
いずれにしても安倍戦争政権下の中で、我が国の人権意識は劣化の方向に向かっている事は間違いない。
【管理者:「蓮舫二重国籍問題」も蓮舫議員自身が二重国籍で差別体験が有るか、どうかに関係なく「二重国籍問題」一般が、極めて深く人権侵害問題を内在しているという問題意識なく蓮舫議員を、罪を犯したかのように(記者会見で蓮舫議員が民進党代表に選出された時、ある記者が「これで『みそぎ』は済んだと思っているのか?」と二重国籍自体を犯罪視する差別質問を行っている)報道するマスコミの「人権無感覚」には怒りを禁じえない。管理者は「ちちんぷいぷい」等の番組に抗議の電話を行ったが、当該放送局は「当放送局は『差別をするも、しないも第三者の立場』」と言い訳した。この「第三者の立場」こそが「悪質な差別の立場」である事が、全く解っていない!
最後に今回の「蓮舫二重国籍問題」報道が在日外国人団体にとって被差別と落胆を感じさせ、他の人権団体と共に「マスコミ人権対策」に乗り出すだろう事を付言する】(参考文献-リテラ/文責:民守 正義)
《いいね!野党共闘@ミナセン大阪~6野党トークセッション~のご案内~》
日頃の活動へのご理解・ご協力に敬意を表します。参議院大阪選挙区においては、改憲勢力に全議席を許してしまい大変残念な結果となりました。本年2月の5党首会談を踏まえた野党共闘(以下、維新を除く)では、野党間の連携や一定の協力をはじめ、市民による応援態勢の確立など従来にはなかった関係や動きが構築されつつあります。これらの動きをふまえ、次の衆議院選挙において、改憲推進派政党の3分の2以上の議席獲得阻止、戦争法制の廃止をめざす野党の過半数の議席獲得を実現するために引き続き野党共闘を深め合う事が大変重要だと思っています。
そしてそのきっかけの一つとして、市民と各政党との意見交換を目的に今回のイベントを開催いたします。
多くの皆さまのご参加をお願いします。
★添付チラシをご活用おねがいします。
日時;2016年10月2日(日)14時~16時
場所:国労大阪会館
(環状線「天満駅」出口から徒歩2分。大阪市北区錦町2-2
TEL:06-6354-0661)
内容:6野党の皆さんによるパネルディスカッション
主催:みんなで選挙☆ミナセン大阪
(大阪市北区西天満4-6-18アクセスビル7階;
のぞみ共同法律事務所気付)
(民守 正義)
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