リベラル勢力の再構築で安倍ファシズム政権退陣へ(57)

リベラル勢力の再構築で安倍ファシズム政権退陣へ(57)





《【不戦の誓い】シリーズ》


<「死体から上がる火で体温めた」東京大空襲71年、1000人死んだ「言問橋の記憶」清岡美知子さん>

 第二次世界大戦中に日本の首都で起きた惨事。10万人以上が犠牲になった東京大空襲から、3月10日で71年になった。空襲を体験した人達の高齢化が進み、体験を語り継ぐ人達はドンドン少なくなっている。東京都練馬区に住む清岡美知子さん(92)は当時、21歳で浅草に住んでいた。隅田川にかかる言問橋の西、浅草寺の裏手に、両親と姉の4人で暮らしていた。

 3月10日の空襲で父と姉を亡くした。

●気を失っている母を、死体から上る炎で温めた

 その日は強い北西の風が吹いていた。清岡さんは、姉に「こんな日に空襲があったら大変だね」と言いながら床に入った。午前0時すぎ、空襲が始まった。清岡さんは配給されたばかりの絹のストッキングと乾パンをいれたリュックを持つと、家族と共に隅田川に逃げた。言問橋に着くと、炎から逃れるため、川に降りる階段を下り川に入った。逃げ惑う人々の中で家族とはちりぢりになった。火傷しないように防空頭巾の上から被っていた鉄兜で水を汲んで、頭からかけ続けた。「火が治まるまで、寒さに震えながら、夢中で頭から水を被り続け川の中にいました。その中で覚えているのは、人間が焼ける強烈な匂いです。イワシを焼いた匂いに似ていました。当分、焼き魚を食べる事ができませんでした」川の上にかかる言問橋では、向島から逃げてきた人と、浅草から逃げてきた人がぶつかり、身動きがとれないまま千人以上の人が亡くなった。火は、夜明け近くまで燃え続けた。火が治まり、清岡さんは川から這い上がると、死体が転がる河原を、暖を取るため火を探して彷徨った。「何かが燃えていて、そこで暖をとっている人達を見つけました。私も、その火にあたりに行きました。

 近づくと、それは逃げ遅れた人の死体が燃えているのだと解りました。

 私は、死人の火で温まったのです。暖をとった後、一人一人倒れている人を確認しながら、家族を探しました。石段の近くで、気を失ってびしょ濡れで倒れている母を見つけ、死人の火のところまで連れて行き、温めました」父と姉は、隅田公園に埋葬されていた。名前の判る死者は、埋めた場所に名前が書いてあったのだ。母と一緒に穴を掘り返し、父と姉に間違いない事を確認すると、2人の髪を一房切って、また埋め直した。

 空襲から4日後、身を寄せるために千葉県の船橋に住む親戚の家に向かう途中、清岡さんは再び言問橋を通った。橋にあった多くの死体は、既に片付けられていた。「言問橋の上には、金属片が大量に転がっていました。何かと思って一つ拾うと、それは焼け残った『がま口財布』の口金でした。昔は皆がま口の財布を首から下げて使っていたんです。遺体はなくても『ここでどれだけ多くの人が、苦しんで死んだのか』と感じました」

●人間らしい感情がマヒしていた

 一方、東京空襲犠牲者遺族会会長の星野弘さん(85)は当時14歳で、本所工業学校の2年生だった。向島区(現・墨田区)の家で母と姉1人と暮らしていた。空襲当日は、寮住まいで働いていた別の姉が戻ってきていた。

 父は前の年に病死していた。「空襲警報が鳴って飛び起きて、雨戸を開けると、空は既に真っ赤でした。家の裏の原っぱから、母と姉2人と逃げました。北西の風が、もの凄い風が吹いていました。風が吹く度に、炎が道路をなめるように広がりました。その度に私達は、避難して無人になった建物の中に入って火を避けました。そんな風にして進みながら、避難所に向かいました」避難所はどこもいっぱいだったので、1時間以上かけて隅田川の河原に辿り着き、そこで母親を休ませた。落ち着くと星野さんは、姉達と母親を河原に残して、家の様子を確認するために戻り、火を免れた貴重品を持ち帰った。家は焼け落ちてしまったため、母達を連れて、別の姉の夫の家に身を寄せた。その後はすぐ、親族の無事を確認するために東京中を歩き回った。「空襲の夜から、恐怖とか、悲しみといった感情がマヒしていたのでしょう。道端に無造作にころがる死体をみても、何も感じませんでした。そうした中、親族の安否確認を終えて義兄の家に戻る途中、多くの人が空襲で焼け死んだ小学校の前を通りかかりました。

 そこで死者を弔っている人を見かけました。綺麗な布団を引いて、その上に遺体を乗せて、枕元にお線香をたてて…。そして一心に念仏を唱えていました。何故か解りませんが、その光景を見た瞬間、突然マヒしていた感情が戻ってきました。死者に対して遺族に対して可哀想だ、気の毒だという人間らしい思いが湧いてきたのです。気が付くと、私は念仏を唱えている人の後ろで、泣きながら祈っていました。戦争は人間らしい感情さえ奪いさってしまうのです」(弁護士ドットコムニュース)



<〔記憶戦後71年〕(上)極寒の地・極限の苦・シベリア抑留3年・宮嶋孝吉さん>

 戦争を生き延びた兵士は更なる悪夢を見た。初年兵だった宮嶋孝吉さん(91)=東京都荒川区=が、三年間抑留された旧ソ連のシベリアで強いられたのは、極寒と飢餓、過酷な労働という三重苦だった。1942年、故郷の滋賀県長浜市の商業学校を卒業後、新天地で職を得ようと旧満州(中国東北部)の企業に就職。45年2月になって召集され、東部の満ソ国境の警備に就いた。20歳だった。部隊の主力は30~40代の兵士と初年兵。

 関東軍の精鋭は本土決戦に備え、続々と内地に送られていた。武器も殆どなかった。ドイツ降伏以降、国境付近のソ連軍は日に日に膨れ上がり、一兵卒の目にも日本の敗北は必至だった。8月9日、対日参戦したソ連軍が満州に侵攻。再編された歩兵第三七〇連隊に所属していた宮嶋さんは、約30人の兵士と共に牡丹江の本隊と合流するために後退した。ソ連軍と遭遇したら一溜りもない。日中は山中で息を潜めた。15日、上官から日本の降伏を教えられた。「助かった」と正直ほっとした。敗戦から13日後、仲間と共に捕虜に。列車に乗せられ「帰国できるのか」と喜んだのは束の間だった。着いたのは沿海地方の森林地帯。いつ終わるか分からない強制労働の始まりだった。午前八時から午後五時まで働き、休みは週一度。森林伐採やアスファルトの舗装、農作物の収穫-。あらゆる肉体労働を経験した。食事はゆでた大豆やアワ、トウモロコシ茶碗一杯分が一日三回。

「家畜が食べていたようなものを人間が食っていたのだよ」。

 農場で豚や牛の世話をしていた時、あまりの空腹にふらつき、見張りの目を盗んで家畜のエサを口にした。生きたい、という本能が人間の尊厳を上回った。後に送られたコムソモリスクの収容所では、病気で亡くなった抑留者や脱走を試みて射殺された仲間を埋葬した。冬には氷点下四〇度になる。先端を尖らせた鉄の棒でも凍った地面に穴を掘るのは困難だった。

「こんなところで死んでたまるか」。遺体を見て帰国の思いは強まった。四八年五月、港町・ナホトカを経由し京都府の舞鶴港に到着した。紺碧の海と青々と茂る木々を見て、四季の豊かな祖国に戻った事を実感した。

「日本が美しいと思ったのは初めてだった」過酷な戦争体験の中で、胸を張れる事が一つあるという。「一人も殺さなかったのだよ」。殺さなければ殺される苛烈な戦場。命に手をかけなかった幸運を噛みしめている。

「お国のため死ね、上官の命令は絶対と教えられ、それが当たり前だと思っていた。平和な時代を生きて、価値観が変わった。例え上官の命令であっても、殺したら一生、後悔していただろう」取材中、私に「翔平」と名付けてくれた祖父の事を思い出した。「平和な世を翔抜けてほしい」。

 戦争体験者だった祖父は一昨年に亡くなった。記者になるまで戦争に関心が薄く直接、話を聞けなかった事を悔やんでいる。「若者に自分の体験を語ったのは君が初めて。皆、関心もないし想像できないんだろうな」と宮嶋さんは語ってくれた。想像がつかなくても忘れてはならない現実がある。一つでも多く伝えたい。

  ◇ 

 終戦の夏から71年。今年も若い記者達が、体験者の証言を通じ、戦争の惨さ、愚かさを見つめた。彼らの過酷な「記憶」を受け継ぐ事で、今の平和を明日に繋げられると信じて。

〔シベリア抑留〕1945年8月、対日参戦した旧ソビエト連邦が、旧満州に侵攻。駐屯していた日本の陸軍将兵らを旧ソ連領内やモンゴルの収容所に送り、強制労働させた。厚生労働省の推計では約57万5千人。劣悪な環境によって約5万5千人が死亡した。



《【安倍政権の労働者収奪】シリーズ》


<「労働者の味方ヅラの大偽善」>


 安倍政権の新たな目玉「働き方改革」は「長時間労働の是正」「同一労働同一賃金」を掲げてはいる。しかし労働者イジメの「残業ゼロ法案」「裁量労働制の拡大」「金銭解雇法案」が残る中で「明らかに矛盾」と指摘し、先ずは、これらの撤回と「非正規労働者の正規化を進めるべき」と訴える。そして「『働き方改革』というなら、真っ先に取り組むべきは格差解消であり、非正規を減らすこと」だが、経団連ベッタリの安倍政権では「解決することはできない」は明らか。このままでは「残業代が消え、会社の都合でクビ切りが当たり前の暗黒世界になってしまいかねない」と訴える。新設の「働き方改革実現会議」は16名中、労働者側は1名(神津 連合会長)のみ。この事からも労働者のための改革をする気はない事は明白!ただ「長時間労働の是正」「同一労働同一賃金」が曲がりなりにも政策課題に上がった事は今後、これを政府の思惑を逆に足がかりとして、実現を求めていくことも、闘い方次第では可能だろう。(参考文献-日刊ゲンダイ[予告]/文責:民守 正義)

  <配偶者控除廃止「1兆円大増税」年収別シミュレーション>

 30日、自民党:宮沢税調会長が専業主婦世帯の税負担を軽減する「配偶者控除」の廃止を表明した。「働き方改革」の一環で「女性の労働意欲を税制で後押しするため」等としているが、白々しい言い訳だ。内実はサラリーマン大増税である。

■専業主夫世帯は地獄

 配偶者控除は配偶者がいる世帯の課税所得を減らし、所得税や住民税の負担を軽くする仕組み。妻の年収が103万円以下であれば、その世帯が払う所得税額を決める夫の所得から38万円を差し引く事ができる。配偶者控除をなくし、いわゆる「103万円の壁」を取り払う事で、女性の働き手を増やす狙いがあるという。が、これは増税のための口実だ。元静岡大教授で税理士の湖東京至氏が言う。「配偶者控除の廃止は、財務省の新たな財源探しから出てきたシロモノです。自民党税調は、専業主婦世帯でも共働き世帯でも一定の控除が受けられる『夫婦控除』の創設を想定しているそうですが、期待すると痛い目に遭うと思います。新しい控除がどうなるのか、まだ具体的に示されていない。世帯全体の控除を下げ、結果的に増税に持っていくのは目に見えています」配偶者控除がなくなると一体、どれくらいの増税になるのか。配偶者控除額は所得税38万円、住民税33万円。

 これらの控除額に5~45%の所得税率をかけたものが増税額となる。

 夫の年収が500万円の専業主婦世帯は、約7万円の負担増だ。

 現在、配偶者控除の適用を受けている納税者は約1500万人。廃止により、全体で1兆円以上の増税になる計算だ。「配偶者控除を利用する納税者の約9割はサラリーマン。ですから税金を取りやすいサラリーマンを狙い撃ちにした増税という事になります。しかも配偶者控除は出産や育児をキッカケに妻が仕事を辞め、子育てに専念するために利用するケースが殆ど。それを廃止するのは、安倍政権が掲げる子育て支援策とも大きく矛盾します」(湖東京至氏)配偶者控除は、早ければ2018年1月にも廃止される見通し。サラリーマンを舐めている安倍自民党の横暴に歯止めをかけるためには、国民的反対世論と今年10月の衆院補欠選挙でノーを突き付けなければならない。(基本文献-日刊ゲンダイ/管理者:部分編集)



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FFTV175 続報/沖縄・高江があぶない!

やんばるの森と人々の暮らしを守ろう

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8/6~8/7 高江ヘリパット建設@N1ゲート裏テント前

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カラーでみる太平洋戦争~3年8か月・日本人の記録~

http://www.dailymotion.com/video/x32rh18

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8/22 早朝行動@北部訓練所前

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20160819 UPLAN 沖縄への弾圧をやめろ!

知事提訴・高江・辺野古8.19緊急行動

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8/23早朝行動@高江N1ゲート前

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しゃぶしゃぶ温野菜 ブラックバイト特集

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【ご案内8】新着!

「アリさんマークの引越社」は管理職研修で採用差別を指導 社員・元社員が角田取締役、井ノ口副社長の部落差別、国籍差別発言を証言する

https://www.youtube.com/watch?v=r9hMLkTtieM

【ご案内9】新着!

NHKスペシャル 2016年8月20日

[沖縄 空白の1年 基地の島はこうして生まれた]

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高江:機動隊が人権蹂躙で不当拘束!トイレも行かせず!

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チェ・ゲバラの国連演説Ⅲ

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(民守 正義)