「「戦争法案-粉砕」から「安倍政権‐打倒へ」(23)
「戦争法案-粉砕」から「安倍政権‐打倒へ」(23)
《参議院「戦争法案-廃案!」と「安陪内閣打倒!」を目指して!》
<憲法前文の平和主義に反する違憲法制だ(8/11)>
参議院平和安全保障特別委員会において質問に立った小西議員(民主)は始めに「今回の『戦争法案(集団的自衛権の行使、核兵器ですら提供・運搬ができる仕組み)』は、憲法前文の平和主義とに真っ向から違反するものだ」と断じた上で「72年政府見解の前にも後ろにも、あらゆる政府の国会答弁、憲法9条に関する政府見解で、限定的集団的自衛権を法理として認めたものは存在しない。この72年政府見解に書かれていなければ、安倍内閣の7月1日の閣議決定は違憲のもので、それに基づく法律は違憲立法として無効となる」と 摘し「安倍内閣は、憲法を蹂躙した責任をとって総辞職してもらわなければならない」と述べた。これは「違憲立法」の新しい指摘としても注目される。「憲法9条を解釈するには、憲法前文の平和主義の意味を離れて解釈することはできない。あらゆる自衛隊の活動は、憲法前文と矛盾することはできない」と述べた上で、小西議員は「なぜ法理上自衛隊は大量破壊兵器である核兵器を輸送できるのか」と質問。 岸田外務大臣は、「わが国は非核3原則をはじめとする基本方針の下、核兵器を輸送・提供することは絶対にあり得ない。ご指摘の点には反しない」と、法理的裏付けのない政策的答弁をするにとどまった。
小西議員はこの答弁を認めず、核兵器輸送・提供を法文上排除していないことの論理的な政府統一見解を求めた。
小西議員はまた「仮に米国とイランが戦争になり、日本がイランから武力行使されていない状態で、日本に石油が来なくなったからと、なぜ集団的自衛権を行使して武力行使を出来るのか」と質問。中谷防衛大臣は「深刻なエネルギー危機が発生する。
我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として対応すると いうこと。石油を求めて戦争をするという事ではない。
我が国の存立自衛をする事が目的だ」などと答えたが、小西議員は「日本が直接攻撃されていない中での武力攻撃は、憲法上許されない」と法理論上の問題点として重ねて法案を批判した。
<「核兵器輸送しない判断と非核三原則に因果関係あるか」(8/11)>
同特別委員会において大塚議員(民主)は先ず広島・長崎両市での安倍総理の挨拶の中で非核3原則を巡って発言に違いがあったことに触れ、その理由を書面で提出するよう政府に要求した。その上で、この間の同特別委員会の質疑で、核兵器の輸送について「法律上は排除していない」との中谷防衛大臣の答弁を念頭に「核兵器を輸送しないという政策判断と非核3原則(持たず・作らず・持ち込ませず)には因果関係があるのか」と質した。
岸田外務大臣からも中谷防衛大臣の答弁を追認する「関係がある」との答弁を引き出した上で因果関係を論理的に説明する書面の提出を要求した。また「防衛白書」の「専守防衛」に関する記述が、2013年度と2014年度の日本語版では全く同じ記述であるにも関らず、英語版では表現が変わっているという事実を取り上げ政府の意図を質した。日本語版では、両年度とも「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限に留め、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る等、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」とある。一方、英語版では13年度が「日本が他国から攻撃されるまでは武力行使しない」という英訳であるのに対し、14年度では「武力攻撃が発生した場合に武力行使する」という英訳になっているという。また新3要件の中の第1要件についての説明が不十分で、英語版だけを読む外国人記者等に、あたかもフルスペックの集団的自衛権を認めたかのように受け止められかねないと指摘した。こうした英文表記の変更について中谷防衛大臣は「新3要件の説明を、そのまま訳出すると冗長になる」ため「簡潔な表現にした」等と答弁。大塚議員は改めて両年度各々の該当部分の英語表記の和訳を提出するよう求めると共に、これから作成される15年度版の英語表記についても同特別委員会で議論することを要求した。更に今回の「戦争法案」の中に含まれる自衛隊法の改悪について、第3条・第76条の改悪と第88条との関係について質した。
現行自衛隊法第3条では「自衛隊は・・・直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛する事を主たる任務とし」と定められているが、改悪案では「直接、侵略及び間接侵略に対し」という文言が削られ「自衛隊は・・・我が国を防衛する事を主たる任務とし」とされている。この理由を政府は「他国に対する武力攻撃を契機とする存立危機事態での自衛隊の行動」を想定したためであるとし、そのため同76条の「防衛出動の内容を改正して存立危機事態への対応も定めた」と説明した。
この政府の説明に対し大塚議員は「侵略ではない行為に対して我が国が武力行使するかもしれないという事を政府は認めたが、私は(ヤカラ先制攻撃で)これに反対だ」と表明。その上で第88条が「第76条第1項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、我が国を防衛するため、必要な武力を行使する事ができる」とされている事から、第76条を改悪するのであれば第88条にある「武力行使」の意味内容も変わるとし「第3条・第76条の改悪と第88条で齟齬が生じる。法案を出し直すべき」と主張した。
<防衛省・統合幕僚監部が「戦争法案」成立後の戦闘マニュアルを既に作成発覚-国会中断>
「戦争法制」を巡る参院審議でまたぞろ、とんでもない事実が発覚した。自衛隊が「戦争法案」成立前から米軍と一体化して戦闘に参加するためのマニュアルを作成していた事が発覚した。暴露したのは小池議員(共産党)。統合幕僚監部が今年5月末に「ガイドライン及び平和安全法案について」なる内部文書を作成していたのだが、その中には「ガイドライン、平和 安全法案を受けた今後の方向性」として「8月に法案成立」とあり、法案成立を前提とした具体的な自衛隊の部隊の編制まで書かれていた。更に新ガイドラインで新たに設けられる事になった同盟調整メカニズム(ACM)が常設になるという記述。そしてPKOについても「南スーダンのPKOを年明けから新法制に基づいて運用する」と明記されていた。まだ同法案が成立しておらず、国会審議の真っ最中にも関らず、その成立後の方向性を自衛隊統幕が議論しているというのは、明らかなシビリアンコントロールの逸脱。小池議員は「戦前の軍部の暴走だ!」と怒鳴って指摘した。しかも前述した文書のACMに関する下りには「運用面の調整を実施する『軍軍間の調整所』が設置される」と書かれている。集団的自衛権容認によって、自衛隊内部では自衛隊は既に「軍」になってしまっていたのである。この追及に中谷防衛相は一旦「承知していない」としながら「同じ表題の資料は存在します」と詭弁。しかし「細部まで特定するには多少、時間がかかる」として審議を中断。そのまま休憩に入り、理事懇談会が開催され、与党は「質疑続行」を主張したが共産党をはじめとした野党は「資料確認もできていないのに質疑ができない」と拒否。
結局、そのまま散会した。
やっと「戦争関連法案」審議に火がついた。しかも共産党から。
民主党や、他のリベラル野党は「反共主義」を出さずに「リベラル野党・勢力‐翁結集!」で同法案を廃案に追い込んで欲しい。今なら間に合う。(リテラ;一部、管理者責任編集)
<参院安保特別委18日以降開催で調整>
「戦争関連法案」を審議する参議院特別委員会は理事懇談会を開催したが、礒崎総理大臣補佐官の二度目の参考人招致等を巡って与野党が折り合わず、来週18日以降で同委員会を開けるよう調整を続ける事になった。「戦争連法案」を審議する参議院特別委員会は、11日の委員会に先立って理事懇談会を開き、今後の審議日程を巡って協議した。この中で野党側は12日以降で審議を行うのであれば、礒崎総理大臣補佐官を再び参考人として招致する事等を求めたが、与党側は「応じられない」という考えを重ねて示し、折り合わなかった。このため鴻池委員長は「来週18日以降、充実した審議を行えるように今週は与野党の筆頭理事を中心に調整を続けると共に、政府・与党としても問題の解決に向けて努力してほしい」と述べ来週18日以降、委員会を開けるよう与野党で調整を続ける事になった。
《「戦争総理=安倍総理!」「戦争関連法案‐廃案!」の声・抗議行動!》
<「安保法案、許すことはできない」長崎-被爆者代表が演説(全文)>
【原爆被害の生き証人として語り続けるー平和への誓い全文】
70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火 の海でした。地獄でした。地獄はその後も続きました。火傷や怪我もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩(たた)きつけられました。しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなく ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
かろうじて生き残った者も暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって 高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私 は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されま した。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につ ながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
平成27年8月9日
《参議院「戦争法案-廃案!」と「安陪内閣打倒!」を目指して!》
<憲法前文の平和主義に反する違憲法制だ(8/11)>
参議院平和安全保障特別委員会において質問に立った小西議員(民主)は始めに「今回の『戦争法案(集団的自衛権の行使、核兵器ですら提供・運搬ができる仕組み)』は、憲法前文の平和主義とに真っ向から違反するものだ」と断じた上で「72年政府見解の前にも後ろにも、あらゆる政府の国会答弁、憲法9条に関する政府見解で、限定的集団的自衛権を法理として認めたものは存在しない。この72年政府見解に書かれていなければ、安倍内閣の7月1日の閣議決定は違憲のもので、それに基づく法律は違憲立法として無効となる」と 摘し「安倍内閣は、憲法を蹂躙した責任をとって総辞職してもらわなければならない」と述べた。これは「違憲立法」の新しい指摘としても注目される。「憲法9条を解釈するには、憲法前文の平和主義の意味を離れて解釈することはできない。あらゆる自衛隊の活動は、憲法前文と矛盾することはできない」と述べた上で、小西議員は「なぜ法理上自衛隊は大量破壊兵器である核兵器を輸送できるのか」と質問。 岸田外務大臣は、「わが国は非核3原則をはじめとする基本方針の下、核兵器を輸送・提供することは絶対にあり得ない。ご指摘の点には反しない」と、法理的裏付けのない政策的答弁をするにとどまった。
小西議員はこの答弁を認めず、核兵器輸送・提供を法文上排除していないことの論理的な政府統一見解を求めた。
小西議員はまた「仮に米国とイランが戦争になり、日本がイランから武力行使されていない状態で、日本に石油が来なくなったからと、なぜ集団的自衛権を行使して武力行使を出来るのか」と質問。中谷防衛大臣は「深刻なエネルギー危機が発生する。
我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として対応すると いうこと。石油を求めて戦争をするという事ではない。
我が国の存立自衛をする事が目的だ」などと答えたが、小西議員は「日本が直接攻撃されていない中での武力攻撃は、憲法上許されない」と法理論上の問題点として重ねて法案を批判した。
<「核兵器輸送しない判断と非核三原則に因果関係あるか」(8/11)>
同特別委員会において大塚議員(民主)は先ず広島・長崎両市での安倍総理の挨拶の中で非核3原則を巡って発言に違いがあったことに触れ、その理由を書面で提出するよう政府に要求した。その上で、この間の同特別委員会の質疑で、核兵器の輸送について「法律上は排除していない」との中谷防衛大臣の答弁を念頭に「核兵器を輸送しないという政策判断と非核3原則(持たず・作らず・持ち込ませず)には因果関係があるのか」と質した。
岸田外務大臣からも中谷防衛大臣の答弁を追認する「関係がある」との答弁を引き出した上で因果関係を論理的に説明する書面の提出を要求した。また「防衛白書」の「専守防衛」に関する記述が、2013年度と2014年度の日本語版では全く同じ記述であるにも関らず、英語版では表現が変わっているという事実を取り上げ政府の意図を質した。日本語版では、両年度とも「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限に留め、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る等、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」とある。一方、英語版では13年度が「日本が他国から攻撃されるまでは武力行使しない」という英訳であるのに対し、14年度では「武力攻撃が発生した場合に武力行使する」という英訳になっているという。また新3要件の中の第1要件についての説明が不十分で、英語版だけを読む外国人記者等に、あたかもフルスペックの集団的自衛権を認めたかのように受け止められかねないと指摘した。こうした英文表記の変更について中谷防衛大臣は「新3要件の説明を、そのまま訳出すると冗長になる」ため「簡潔な表現にした」等と答弁。大塚議員は改めて両年度各々の該当部分の英語表記の和訳を提出するよう求めると共に、これから作成される15年度版の英語表記についても同特別委員会で議論することを要求した。更に今回の「戦争法案」の中に含まれる自衛隊法の改悪について、第3条・第76条の改悪と第88条との関係について質した。
現行自衛隊法第3条では「自衛隊は・・・直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛する事を主たる任務とし」と定められているが、改悪案では「直接、侵略及び間接侵略に対し」という文言が削られ「自衛隊は・・・我が国を防衛する事を主たる任務とし」とされている。この理由を政府は「他国に対する武力攻撃を契機とする存立危機事態での自衛隊の行動」を想定したためであるとし、そのため同76条の「防衛出動の内容を改正して存立危機事態への対応も定めた」と説明した。
この政府の説明に対し大塚議員は「侵略ではない行為に対して我が国が武力行使するかもしれないという事を政府は認めたが、私は(ヤカラ先制攻撃で)これに反対だ」と表明。その上で第88条が「第76条第1項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、我が国を防衛するため、必要な武力を行使する事ができる」とされている事から、第76条を改悪するのであれば第88条にある「武力行使」の意味内容も変わるとし「第3条・第76条の改悪と第88条で齟齬が生じる。法案を出し直すべき」と主張した。
<防衛省・統合幕僚監部が「戦争法案」成立後の戦闘マニュアルを既に作成発覚-国会中断>
「戦争法制」を巡る参院審議でまたぞろ、とんでもない事実が発覚した。自衛隊が「戦争法案」成立前から米軍と一体化して戦闘に参加するためのマニュアルを作成していた事が発覚した。暴露したのは小池議員(共産党)。統合幕僚監部が今年5月末に「ガイドライン及び平和安全法案について」なる内部文書を作成していたのだが、その中には「ガイドライン、平和 安全法案を受けた今後の方向性」として「8月に法案成立」とあり、法案成立を前提とした具体的な自衛隊の部隊の編制まで書かれていた。更に新ガイドラインで新たに設けられる事になった同盟調整メカニズム(ACM)が常設になるという記述。そしてPKOについても「南スーダンのPKOを年明けから新法制に基づいて運用する」と明記されていた。まだ同法案が成立しておらず、国会審議の真っ最中にも関らず、その成立後の方向性を自衛隊統幕が議論しているというのは、明らかなシビリアンコントロールの逸脱。小池議員は「戦前の軍部の暴走だ!」と怒鳴って指摘した。しかも前述した文書のACMに関する下りには「運用面の調整を実施する『軍軍間の調整所』が設置される」と書かれている。集団的自衛権容認によって、自衛隊内部では自衛隊は既に「軍」になってしまっていたのである。この追及に中谷防衛相は一旦「承知していない」としながら「同じ表題の資料は存在します」と詭弁。しかし「細部まで特定するには多少、時間がかかる」として審議を中断。そのまま休憩に入り、理事懇談会が開催され、与党は「質疑続行」を主張したが共産党をはじめとした野党は「資料確認もできていないのに質疑ができない」と拒否。
結局、そのまま散会した。
やっと「戦争関連法案」審議に火がついた。しかも共産党から。
民主党や、他のリベラル野党は「反共主義」を出さずに「リベラル野党・勢力‐翁結集!」で同法案を廃案に追い込んで欲しい。今なら間に合う。(リテラ;一部、管理者責任編集)
<参院安保特別委18日以降開催で調整>
「戦争関連法案」を審議する参議院特別委員会は理事懇談会を開催したが、礒崎総理大臣補佐官の二度目の参考人招致等を巡って与野党が折り合わず、来週18日以降で同委員会を開けるよう調整を続ける事になった。「戦争連法案」を審議する参議院特別委員会は、11日の委員会に先立って理事懇談会を開き、今後の審議日程を巡って協議した。この中で野党側は12日以降で審議を行うのであれば、礒崎総理大臣補佐官を再び参考人として招致する事等を求めたが、与党側は「応じられない」という考えを重ねて示し、折り合わなかった。このため鴻池委員長は「来週18日以降、充実した審議を行えるように今週は与野党の筆頭理事を中心に調整を続けると共に、政府・与党としても問題の解決に向けて努力してほしい」と述べ来週18日以降、委員会を開けるよう与野党で調整を続ける事になった。
《「戦争総理=安倍総理!」「戦争関連法案‐廃案!」の声・抗議行動!》
<「安保法案、許すことはできない」長崎-被爆者代表が演説(全文)>
【原爆被害の生き証人として語り続けるー平和への誓い全文】
70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火 の海でした。地獄でした。地獄はその後も続きました。火傷や怪我もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。
70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩(たた)きつけられました。しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなく ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。
それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。
そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。
かろうじて生き残った者も暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって 高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私 は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されま した。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につ ながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。
平成27年8月9日
被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)
<「僕らは戦後100年になったとき、100年間戦争してこなかったという祝いの鐘を鳴らしたい」>
現場に身を置かないと解らぬ熱気というものがある。衆院特別委で「戦争法案」が強行採決された7月15日の夜、国会正門前の集会で、それを痛いほど感じた。ひょっとしたら、この熱気は歴史を変えるかもしれない。主催者は「戦争法案」を「♯本当に止める」を合言葉に集まったSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)だった。合言葉の「♯」(ハッシュタグ)はツイッターで検索し易くするための記号である。
今年5月、東京の私大生らを軸に結成された。
メンバーは関西グループを含め約250人とされるが、本当のところは誰にも解らないのではないか。というのもデモや集会をやるたび参加者が急増し、全国各地に運動が広がっているからだ。
15日の国会前にはSEALDsの呼びかけで数万人が集まった。老いも若きも男も女も目の不自由な人も車椅子の人もである。皆がコールに合わせて「国民なめんな!」「勝手に決めるな!」と叫んでいる。誰もが真剣な面持ちで、しかも楽しげだ。若い女性が大勢いるから場が華やぐ。心が躍る。まるでロックコンサートの会場にいる気分だ。いや、広々とした野原にいて爽やかな自由の風に吹かれているみたいだ。私は人の渦に呑み込まれながら思った。若いってこんなに凄い事だったのだな。今やSEALDsは万人の共感を呼んでいる。機動隊に石や火炎瓶を投げる事しか頭になかった私達の世代とは大違いである。
何よりショックを受けているのは、ヘイトスピーチをばらまくネトウヨ諸君(その中心は40代だ)だろう。第2次安倍政権が誕生して我が世の春を謳歌していたのも束の間、もっと若い世代の運動に軽々と乗り越えられてしまったのだから。それにしてもSEALDsの自由で軽快な発想は、どこから生まれたのだろう。私はついさっき見た場面を思い起こした。最初にオッ!と思ったのは午後7時過ぎの事だ。SEALDsの中心メンバーA君がマイクを握った。「いつの時代も『若者は何やってんだ。無関心だ』と言われ続けてきたのですよ。で、いざ声を上げると『何だへらへらして。ちゃんと勉強してんのか』と言われ、そうやって大人との溝が延々とあった。でも今は自分のジイチャン、バアチャン、トウサン、カアサンぐらいの人達と一緒に集まっている。僕はその事に希望を持ちたい」赤い花模様のキャップ。白いTシャツ。小さ目のリュックを背負っている。その声には少年のようなあどけなさが残っている。が、彼は手垢のついた決まり文句を決して使わない。自分の胸に積もり積もった言葉で人々に語りかける。「僕は後30年たって戦後100年になったとき、ついに100年間、戦争してこなかったという祝いの鐘を鳴らしたいんですよ。何で立憲主義を理解できない人達に我々の生活を語られなきゃいけないんですか。僕は諦めることができません」聴衆から「そうだっ!」と合いの手が入る。と、そこでA君は声のトーンを一変させる。「アソウさんが不良グループに囲まれても守れないとか、スガさんがどうのとか、そんな説明に納得できるか、ボケッ!納得できる訳ないじゃないか」ワーッと大歓声が沸く。A君の言葉にはユーモアとメリハリがある。彼は自分の気持ちを人に伝えるには、どうしたらいいのかと心を砕いてきたのだろう。今までの運動に一番、欠けていた部分だ。
「民主主義ってなんだ!」 そう言えばSEALDsのサイトやパンフもデザインがおしゃれだ。例えば青空に浮かぶパラグライダーの写真を背景に白抜きの字で自分達の主張を解り易く訴えている。もっと驚いたのは、スピーチの合間にスピーカーから流れるコールだ。ドスの利いた渋い声で「戦争ハンタイ!」「戦争ハンタイ!」のリフレインが先ず続く。リズム感と迫力があるから、単純な言葉でも胸にジンワリと沁みこんでくる。
やがてコールは「民主主義ってなんだ!」という問いかけに変わる。人々がそれに「なんだ!」と問い返す。「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」。
途中でコールテンポは一変する。「アッベェー(安倍)はやーめーろっ」。すると皆も「アッベーはやーめーろっ」。次は早口で「アベはやめろっ」「アベはやめろっ」。「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」。ウーンと唸った。これほど主催者と参加者の気持ちが一体になる集会は見た事がない。掛け合いは続く。「なんか自民党、感じ悪いよね」「独裁やめろ」「憲法守れ」「言う事きかせる番だ、オレ達が」「安倍晋三から沖縄守れ」「自由を守れ」「子供を守れ」…。次々と繰り出される言葉は、もはやコールではない。無数の男女によるラップだ。ヒップポップの心地よい音楽である。
SEALDsの面々は3年前の官邸前デモの高揚を見て育ったのだろう。だからデモへの抵抗感が微塵もない。ヘイトデモの醜悪さにも呆れ果てたに違いない。彼らの理念は〈戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重〉する事である。
社会学者の上野千鶴子さんがスピーチに立った。「私は45年前、学生でした。その時は闘いました。今時の学生はどこにいて何してるんだと思っていたら、ここにいるじゃないか!おじさん、おばさんと若者達が一緒に闘う。こんな日が来るとは夢にも思わなかった。ありがとう。生きていて良かった!」さすが上野さんである。SEALDsの運動が、どれほど画期的な事か、ちゃんと分かっておられる。
万雷の拍手の後、またコールが始まった。「民主主義ってなんだ!」「なんだ!」。
数万の声が夕闇の国会前に響き、私は日本の未来に確かな希望の灯を見たような気がした。
(現代ビジネス;民守 正義)
《ガイド》
「8・30 おおさか大集会~戦争法案を廃案に!アベ政治を許さない!」
2015年8月30日(日)16:00~/集会17:00頃からパレード/於:扇町公園
*いよいよ実質的な闘いの天王山です。家族揃って参加をどうぞ♪
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