コラムーひとりごと31 「トランスジェンダー」と「就職差別」
コラムーひとりごと31
「トランスジェンダー」と「就職差別」
私が「トランスジェンダー(性同一性障害)」と出会ったのは、仕事で「就職差別解消施策」に携わっていたときのこと。仕事の関係者から「こういう問題もあるよ」と教えられ、「セクシュアルマイノリティーの問題」以上に詳しく知らず、「仕事のプロとして、これはアカン」と早速、関係図書を購入して勉強したのが始まりである。
《「セクシュアルマイノリティー」と「トランスジェンダー」》
1.「セクシュアルマイノリティー」とは何か。
「性的少数者」とも言い、何らかの意味で「性」のあり方が非典型的な人のこと。
一般的に同性愛者、トランスジェンダー(性同一性障害)等の概ねの総称である。
しかし、ここでよく理解して欲しいのは「概ねの総称」であっても、その総称に含まれる「『性』のあり方が非典型的」の一つひとつが、医学的にも全く違うもので、その一つひとつの「『性』のあり方が非典型的」の医学的違い、知識を正確に学ばなければならない。(例えば「同性愛者」と「トランスジェンダー(性同一性障害)」とは医学的にも、その態様も全く異なる)従って、当事者達にしてみれば「何か、わからんけど、とにかく『セクシュアルマイノリティー』の問題」との中途半端な理解は、返って偏見理解されていると思われることを分かって欲しい。
偏見を無くすためには「科学的・具体的に知る」というのも重要な一つの方法なのだ。
2.「トランスジェンダー」とは何か。
私は、できるだけ前後の脈絡上、支障のない限り「性同一性障害」の方を「トランスジェンダー」と呼ぶようにしている。もちろん、それには理由があるのだが、その理由は後述するとして、とりあえず先に「性同一性障害」について説明したい。
(1)「性同一性障害」とは?
①「性同一性障害」とは医学的病名で、すなわち「生物学的には性別が明らかであるにも関らず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信(性の自己意識)をもち、かつ自己を身体的、及び社会的に別の性別に適合させようとする」障害のこと。
やや簡潔に『性の自己意識(心の性)と生物学的性別(身体の性、解剖学的性別)が一致しない状態』とも説明されている。
②性同一性障害は何故、起きるか?
要は「何らかの原因によって、脳と身体とが各々、一致しない性別へ性分化し発達したもの」と考えられている。このため、自身の身体の性への違和感や嫌悪感、性の自己意識に一致する性への一体感や同一感を、強く持続的に抱くこととなる。
「何らかの原因」を、もう少し詳しく言うと、胎児期における性分化(男性型・女性型への分化)の機序は極めて複雑かつ数多くの段階をたどる。その過程は、一つでもうまく働かないと異常を起こし得る至妙な均衡のうえに成り立っており、人の性は必ずしも正常な状態に性分化、発達するとは限らない。もし身体は典型的な状態に発育する一方、脳が部分的に、その身体とは一致しない性への性分化を起こしていたと仮定すると、性の自己意識と生物学的性別とが一致しない状態=「性同一性障害」となる。
③「性同一性障害」の診断は?
性同一性障害の診察や診断には、そのことに関する正確な知識、充分な理解を持つことが望まれる。また治療者は受容的かつ共感的な態度が要求される。
日本では、日本精神神経学会による『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』があり診断はおよそ、これに従い行われる。(細部省略)
なお2人の精神科医が一致して「性同一性障害」と診断することで診断は確定する。
④「性同一性障害」の治療について
「性同一性障害」の治療については、社会への適応のサポートを中心とする「精神科領域の治療」と、身体的特徴をジェンダー・アイデンティティと適合する性別へ近づけるための身体的治療(ホルモン療法、乳房切除、性別適合手術)で構成される。
なお「性同一性障害」に対し「心の方を身体の性に一致させる」という治療は、人権上においても経験的、現実的においても不可能で行われない。
(2)何故、「トランスジェンダー」と呼ぶか?
◎「トランスジェンダー」には「『性』の間をさ迷える」から「『性』を乗り越える」といった積極的な意味が含まれる。近年の国際的な人権に関する文書においても「性自認が身体的性別と対応しない状態を意味する言葉」として用いられる。
従って単に病名だけを意味する「性同一性障害者」よりも「トランスジェンダー」の方が人権上、より適切だと思うからである。
◎余談であるが、この「トランスジェンダー」という言葉を、仕事の啓発資料に記載する事には、当時の課長から強い難色を示された。その理由は、当時は特に「トランスジェンダー」という言葉が殆ど知られていなかったこと、例により「前例、他府県の例がないこと」だ。しかし私も「大阪府が先鞭を付けて行う事に意味がある」と言って譲らない。そこで「更なる上司の判断を仰ごう」ということになって、室長の判断を仰いだら、意外とアッサリ快諾。「トランスジェンダー」という言葉を使っている行政・自治体は、今でも大阪府だけかもしれない。でも当事者団体(個人)からは「トランスジェンダー」という言葉を用いてることに、高い評価を頂いている。
《「トランスジェンダー」と就職差別等》
1.「トランスジェンダー」であることの合意。
「トランスジェンダー」に対する理解が、まだまだ遅れている中で就職のハードルも大変、厳しい。私にはトランスジェンダーの友人がいる。彼女はMtF(身体的には男性だが、性の自己意識は女性)である。この数年の彼女とのお付合いはご無沙汰であるが、元々は彼女は争議組合の組合員で、私は、その争議の支援と助言をしていて知り合った仲である。
彼女と他の女性組合員との間には、彼女が「トランスジェンダー」であることの理解が出来上がっていて、彼女が着換えたり、トイレに入るのも女性部屋、女性トイレで、そうしたことに女性組合員全員の合意を得ているのである。
もう一つの実例として仕事で、ある会社の人事責任者の方が相談に来た。その相談内容は「今度、性同一性障害の方を採用予定だが、その人用のトイレ、更衣スペース等を用意しなければならないのか?」ということだった。因みに本人はFtM(身体的には女性だが、性の自己意識は男性)で、周囲の同僚は殆ど男性。そこで私は「FtMと言っても、その態様や症状には個人差があり、また性の自己意識は周囲の殆どの男性と同様の『男性』であることも鑑み、とりあえず本人に『どのような配慮が必要か』を聞いてみてはどうか 。多くの場合は、周囲の理解と工夫で対応できる事が多い。なお周囲の理解と合意を得るために『トランスジェンダー(性同一性障害)』の研修は、ぜひ必要」と答え、人事責任者の方も「その程度なら」と少し安堵して帰られた。「性同一性障害」の無知から来た不安だったのだろうと思う。
しかし上記二例は「一定範囲の方々の理解と合意」だから、努力次第で成り立つが、不特定多数の方々と対応しなければならない「接客業」等々では、先ず不可能であり、社会の偏見にさらされ、実質的に就職差別に出会う事になる。
2.「セクシュアルマイノリティ」に関る二つの問題提起
(1)本稿では「セクシュアルマイノリティ」の中でも特に「トランスジェンダー」について論述した。しかし冒頭に「セクシュアルマイノリティ」とは「『性』のあり方が非典型的な少数者」という総称的用語であることは既に述べた。 そして最近では、個々の「非典型的な『性』的少数者」も、それはそれで、その多様性を認め、当然の市民としての基本的権利を尊重していこうという流れがある。近年、米国で見られる「同性愛者」同士の結婚や、日本でも性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律により「性同一性障害者」が「男女の別」の変更が認められるようになったのも、その流れの例といえよう。しかし、その一方テレビ等のバラエティ番組において
「オカマ(差別語)」を芸風としたり、「オネエキャラ」と称して、下劣で差別的な「笑い」を取ろうとするものもある。「セクシュアルマイノリティ」を笑いネタにしているバラエティ番組の陰で、どれだけの「セクシュアルマイノリティ」の人々が悲しい思いをしているのか、「偏見」を広めている事になるのか、想像力の欠片も働かないのかと言いたい。
ここで美輪明宏が一部同性愛者のメディアにおける「私達はどうせオカマだから」という自虐的な物言いについて「自分たちはそう自己卑下していればいいけれど、若い人達はどうなるのか。明日学校で、女性的だという理由でからかわれたりすることになる。せっかく同性愛が市民権を得てきたのに歴史が逆戻りする」と批判していることを呈する。
(2)「性」の多様性とグラデーション
「セクシュアルマイノリティ」とは「『性』のあり方が非典型的な少数者」という意味であるが、もっとポジティブに、かつ単なる病名ではなく自然な事として市民的権利を認めていこうとする時流から言っても「セクシュアルマイノリティ」の意味を「『性』には個性・多様性がある」との見方・認識へと求められて来ている。更に「性」には、単純かつ明確に「男と女」に分けられるものでもなく「男性的な男性(女性)。女性的な女性(男性)」 が個々人の個性(「性」のグラデーション)として認め合う事が大切だと思う。
「セクシュアルマイノリティ」の問題を考えるには「性」に対する固定観念を払拭し「個性と多様性」を先行した思考が必要な事、「偏見」には断固、闘う姿勢が必要な事を痛感した。
(民守 正義)
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