私の闘病日記―難病サルコイドーシスと向かいあって
私の闘病日記―難病サルコイドーシスと向かいあって
この闘病日記は、私が難病サルコイドーシスに罹患した経験談の中でも特に読者の参考になるのではないかと思う事柄について実体験型に整理したものである。それだけに事実経過が中心で、面白みの欠けるものであるが、それでも斜め読みでも読んでいただければ幸いである。
《事実経過1》
私の体調異変の始まりは、2012年7月3日から9月2日まで病欠を取得した鬱病からである、でも自分では、然程の鬱病の自覚はなかったのだが、心療内科では、中程度の鬱病と診断され、病欠を薦められた。ただ、その当時、言われなき人権侵害の誹謗を受けて。強いストレスを受けていたし、サルコイドーシス自体、原因不明の難病で、そこにはストレスなども原因諸説に並んでいる。
その病欠後、一定の回復をしたが、2013年9月1日以降、2回目の鬱病発生で再び、病欠を取得した。この2回目の鬱病は、自分でも明確に鬱状態を自覚できるもので、当日早朝から嘔吐し、急いで心療内科に駆けつけた。
<突然の転倒―頚椎異変の前兆か?>
この2回目の鬱病以降、同年11月位から職場復帰を目指し、体力づくりのために、公園で運動を繰り返していた。そのある時からか、まっすぐに走ることができず、特に左足が引きずるようになってきた。この異変には気づいていたが、さらに運動することでまぎわらしていた、
同年11月5日、公園での運動の帰宅途中、携帯電話が鳴ったのがきっかけに何故か気を失い転倒した。気づいたときには、既に救急車に妻と乗って眼鏡も割れている状態だった。そしてU病院に緊急搬送、診察の結果、その時には脳には異常はなかったものの、頚椎が異常に曲がる頚椎症性脊髄症を指摘された。実際には後に脳にも脳挫傷を起こしているのが判明したのだが、緊急診察時には判明していなかった。
そしてU病院には数箇所ほどの頚椎症性脊髄症の手術ができる病院を紹介されたが、その内でも最も家に近い某A病院に診察してもらうことにした。
〔教訓1〕
この自宅近所の某A病院を距離的理由だけで選んだことが私の反省点の一つで、後々に某A病院の主治医の対応には問題が多く、やはり口コミや治療実績等も参考に調べる等、とにかく距離的理由だけで治療病院を選ぶことは危険である。
《事実経過2》
とにかくは、某A病院でMRI画像診断を行ったところ。頚椎症性脊髄症は事実で、2013年11月13日入院、同年12月3日、頚椎症性脊髄症の手術を受けた。この手術は、首の後部にスペーサー(洗濯ばさみのようなもの)という物体を首後部肉に5枚も固定するものであった。
なお、このMRI画像診断の際に別途、頚椎内に白い棒状の肉芽が認識されており、頚椎症性脊髄症の手術後に妻が主治医に質問しているが、主治医は「頚椎症性脊髄症の腫れのようなものではー」と軽視した答えをしたことから、実際にはあった「頚椎内腫瘍」の存在を明確に認識されることはなかった。すなはち、主治医の認識を、患者本人への説明を基に要約すると、「頚椎内腫瘍」への問題意識は、ほとんどなく、頚椎症性脊髄症の手術をしたことで、頚椎内の体液の流れが良くなり、全体として後のリハビリにより改善されていくのではーという期待的推察があったのではないかと思われる。
〔教訓2-当てにならないセカンドオピニオン〕
少し余談になるが、A某病院での頚椎症性脊髄症の手術を受けるに先立ち、鬱病の心療内科の医師に相談した。当該医師は、A某病院での手術には技術的にも疑問を呈し、府立公的医療機関へのセカンドオピニオンを受けるべく、紹介状を書いてくれた。私と妻は早速、同病院整形外科を訪ねたが、若い担当医は、少し面倒くさそうに「そのまま、A某病院で手術を受ければよい」と言い放った。しかし、疑問が払拭できない私達も、そもそもA某病院での手術が脳神経外科であることから、再度、脳神経外科でのセカンドオピニオンを申し込んだが、これについては一蹴して拒否された。この経験で感じ取ったことは、せっかくセカンドオピニオンという制度があっても、実際には先に治療方針を示した病院と異なる(アゲインストな)セカンドオピニオンを呈することは、なかなか勇気のいることで、結局は病院同士で追随し合うのではないかという疑惑を抱いてしまうことである。特に医科大学が同系列の病院の場合は、なおさらではないかと思える。
《事実経過3-とりあえずリハビリ改善した頚椎狭窄症》
上記で述べたように「頚椎内腫瘍」の影を潜めながらも、頚椎症性脊髄症の術後リハビリに努めた私は、徐々に歩行ができるほど改善した。そして本年3月末日の定年退職を契機にA某病院を退院した。
《事実経過4-やはり「頚椎内腫瘍」によって再び歩行困難に》
3月末日の退院以降、このまま改善されていくのではと自分でも期待していたが、4月中旬以降、再び歩行困難に陥った。そして4月23日の定期検診の際、A某病院主治医から「次の定期検診は6月」と言われたものの、そこまで持ち応えるものでなく、5月16日、予定を繰り上げ再受診、MRI画像診断も行った。
今度は、頚椎内腫瘍も明確に判明し、A某病院主治医の診断書も、ここで初めて「頚椎内腫瘍」の言葉を使っている。
そして同日(5月16日)、再び入院することになったが、この入院経過も問題のあるものだったが、それは後ほど述べることにする。
《事実経過5-主治医はサジを投げたー損害賠償請求の検討へ》
5月19日、A某病院主治医は、私達患者と家族を呼び出し話合いを行った。その内容は「頚椎内腫瘍」について、ようやくその存在を正式に認めたものの、「A某病院としては、なす術がない。ついてはH大学病院に相談(紹介?)してみてはどうか?」という主旨で、要はA某病院としてはサジを投げ、H大学病院に転院を促すというものだった。
〔教訓3-不明なものは、いい加減にしない〕
私達患者本人と妻は、A某病院主治医の薦めにより5月26日、H大学へのセカンドオピニオンを受けに行った。
H大学病院セカンドオピニオンは実に明解なもので、「脊椎腫瘍について、外見上、良性に見えても悪性の場合もあるし、その反対もある。また悪性・良性と関らず、第3の問題組織である場合もある。脊椎腫瘍を多少、切除し、組織検査=確定診断をしなければならない」というものだった。このH大学病院のセカンドオピニオンは、まだ一応、なす術があるという意味で、希望が持てるものであった。
同時に昨年12月3日のA某病院での脊椎症性脊髄症手術以前のMRI画像では一応、頚椎内腫瘍と思わしき白い肉芽が 映っていたのだから、何故、その時点でA某病院での確定診断の能力がないならないで、頚椎症性脊髄症の手術だけでなんとかなると思わずに、H大学病院等に紹介してくれなかったのかという疑問と怒りが沸き立つ。現に後程、転院したI大学病院医師は、「そもそも医学の世界で原因等が不明で放置しておくことは、原則、有り得ない」とまで明言している。その意味で「頚椎症性脊髄症の手術が意味なかった」とまでは言わないが、頚椎内腫瘍への無関心、未措置が本年4月以降の状態悪化を招いた」ことも確かで、その間の入院費、治療費に精神的苦痛も加え、損害賠償請求も検討している。
なお、5月26日のセカンドオピニオン以降、H大学病院が、あまりにも遠隔地であることもあって、I大学病院にも紹介を願い、5月30日に同様にセカンドオピニオンを受けたところ、ほぼH大学病院と同様の見解だったことから、6月20日にI大学病院に入院、7月8日に再び首―頚椎を切除、頚椎内腫瘍組織検査を受けた。そこで組織検査の結果、白い頚椎内腫瘍(肉芽)の正体は[サルコイドーシス]であることが判明したのである。
その後、7月22日にI大学病院脳神経外科から同大学病院神経内科に転院し、ステロイド系の点滴を経て、現在は、9月10日にI大学病院を退院し、ステロイド系の経口薬を中心に10種類以上の薬を中心に服用し、不便な車椅子と強い手の痺れに耐えながら、自宅リハビリに励む闘病生活が長く続く。
《その他、闘病生活を通じて得た教訓と問題意識等》
◎横柄な態度のA某病院主治医
このA某病院主治医は、日常的に患者に対して上から目線で、例えば手術前の患者への説明も「もう奥さんに説明した。後は奥さんに聞いておけ」という態度であった。
また5月16日の入院経緯も、午前中の診察では頚椎内腫瘍の切除を試みようという説明であったが、その後、一旦、私と妻が自宅に帰り、午後から再度の診察とMRI画像診断の予定であった。ところが自宅帰宅中に何の説明もなく、事務方から「昼から入院の用意をしてくるように」という何の権限があるのか、突然の入院命令。そして昼からの診察では午前中の説明とは何の言い訳もなく、180度変わって「頚椎内腫瘍を摘出することは危険」と開き直った態度で説明され、正直に言って全く信用できないものであった。
さらに頚椎内腫瘍がまだ認識されていなく、頚椎症性脊髄症の術後のリハビリとして歩行訓練を行っているときに、A某病院主治医と出くわし、「もっとカッコよく歩けやー」と罵られ、本来の医師としての品位、責任感を逸脱した暴言に怒りを禁じえなかった。
◎大学病院医師との主観的違いは
そもそも大学病院等の医師と民間病院の医師との主観的な比較であるが、大学等病院の方が実に医学的で、わかりやすく説明しようとする姿勢が見られ、率直に言って横柄な医師ほど、ヤブ医者が多いのではないかと感じられる。
○蛇足―歯医者
蛇足であるが、歯医者もその傾向があるようで、今回の サルコイドーシスの治療にあたって、骨粗しょう症の予 防薬を経口しなければならず、またそのためには骨髄炎を 併発しないために、虫歯の根を7本も抜歯した。
随分、辛い施術だったが、その時の歯医者の話として、 本当に健康保険の適用範囲で良心的に治療を行う歯医者 は、全体の数%だということである。その真実のほどは わからないが、少なくとも自分の近所のK歯科医院でも
患者に対する上から目線の態度と診察毎に不必要なイソジ ンうがい薬を何本も提供し医療点数を稼ぎ、そして抜歯と 不具合な義歯の提供など、どう見ても自分には不適切な治 療行為としか見られず、見限ったことがある。
結局、歯医者も他の民間病院も、ある程度は、自分の 足で自分に合う医療機関を探す努力は必要かなと思う。
◎医大同系列でないと連携はとれないのか。
先程、述べたように5月26日のH大学病院でのセカンドオピニオン後、I大学病院にも紹介を受けセカンドオピニオンを受けることになったのだが、その前のある時、A某病院主治医が突然、病室に訪ねてきて、私―患者本人がいるにも関らず、「奥さんはいるか?」と妻を探し出し、妻に対して「I大学病院は退院後も患者の面倒を見てくれるのか、聞いておいてくれ」と依頼するのである。これからI大学病院に入院予定である私にとって、あまりにも愚問であり一定、無視したが、どうも質問の意図はI大学病院とは日常的に連携関係がなく、後々の情報が入らないからだ」と言い訳していた。この件は、後程、I大学病院主治医にも報告したが、I大学病院主治医は「日常的に医大学同系列であろうが、なかろうが、地域医療連携の中で淡々と処理するだけのこと」と聞いて安心した。
しかし、医大同系列に患者紹介すら躊躇する医師も、まだなお存在することは多少、認識した方がよいと感じた。
◎深刻化する医療スタッフの労働条件問題
かつて公務員現役時代に組合活動を行っていた自分は、医療スタッフの労働条件問題についても、入院中に探ってみた。
先ず民間病院であるA某病院では近年、退職金制度が廃止され、その事の不満、不安が結構、広がっているようである。
確かに労働基準法では、退職金規定はなく、必ず設けないといけないものではない。現に民間中小零細企業では退職金制度がない企業が多くあり、実際、経営側に取ってみれば、人件費の後年度負担として重くのしかかってくるのも事実であろう。しかし看護師は国家資格であり、日進月歩に進化する医療技術の中で、それなりにモチベーションを維持して働き続けるためには、安定した労働条件の提供は必要不可欠である。逆に言えば、悪い労働条件では、それなりの医療スタッフしか確保されず、良い医療スタッフは良い労働条件で買えるのである。
その他、看護師の腰痛問題や吐き出すほどの病院給食のまずさ等、様々な不満を聞き取ることができたが、全体として経営コストを下げようとする民間病院経営側の意図と、それに不満があれども文句の言いようのない医療スタッフの意思が浮かび上がり、結果として民間病院の医療水準の低下を招いているように思える。
なおI大学病院では、あまり労働条件問題での不満は聞き取れなかったが、公的行政機関が残業代未払い等で労働基準監督署からの監督指導を受けたようで、率直に言って、あれやこれやの言い訳をせずに、民間企業の範を示すようコンプライアンスを徹底してほしいものだ。
またI大学病院で少し気になったのが、看護師のほとんどが20歳代の若い女性で、年配の看護師はあまりいない。この事は、I大学病院に限らず一般的に看護師という職業が夜勤もあり、配偶者の相当の理解と条件がないと、長く働き続けることのでいない職業であることを物語っている。
◎医療検査に関する円滑な個人情報の還元を!
民間病院でも大学病院等でも、意外と患者本人に対して医療検査結果等の本人情報の還元がされていない。医療検査結果等に関する個人情報保護法の規定は、先ず本人から医療検査結果等について開示請求があった場合は、病院側は遅滞なく開示しなければならないことになっている。しかし実際の運用実態は、多くの医療検査を行いながら、問題ある医療検査結果がある場合は別として、ほとんどが患者本人が医療検査結果を知る権利の説明もされずに、病院側だけが保有管理する状況が一般的である。そこで医療検査結果等の本人情報の開示をより進化させて、医療検査等を行った場合は、必ず患者本人に対して紙媒体等での検査結果の還元をルール化してはどうかと思う。その方が病院側の事務の煩雑さは増すかもしれないが、元々、患者の医療検査結果は患者の所有する本人情報であるし、病院側と患者側との信頼関係の醸成にも繋がると考える。
◎意外と杜撰な会計規定
これはI大学病院で実際にあった2例だが、一つはリハビリステーション科に受診するにはマスクを着用するよう周知(手紙)されたときのことである。その手紙にはマスクや手洗い、うがいをする必要性等が、比較的詳しく記載されているのだが、肝心のそのマスクが患者負担なのか、病院側で準備するものなのか、一切、記載されていない。これについては看護部に苦言を呈し、多少の文書修正がなされたが、どうも実務的にどうすればよいかという患者感覚と専門的知識に目を奪われる看護意識とには日常的にズレがあるように思える。
もう一つの例が、I大学病院を退院する前に、I大学病院の呼びかけにより、関係者が集まり、退院するにあたっての問題点等を検討するカンファレンスがI大学病院で行われた。 その際に出席していた訪問看護ステーションの人達が、退院後、自宅訪問し、打合せ後、そのカンファレンスの際の旅費を私達に請求して驚いた。そもそも、そのような会計負担があることを事前に聞いてなかったし、第一、患者が負担すべき合理的理由も見当たらない。
事々、然様に大学等病院の経費負担には、慣行的で合理的根拠に乏しいことが目に付くが、この際は、合理的な手続きで公然と会計諸規定を見直し、公表すべきだと思う。
《これからどうなる医療行政》
今回、サルコイドージスという難病を経験して、感じ取った教訓、問題意識等を羅列したが、その経験上から見える構図として、段々と医療水準が低下する民間病院、しかし、そこで何らかの医療アクシデントに見舞われ、紹介状がなければ、大学等病院では外来診療も受診できない現状。そして患者と医療機関側とでは、圧倒的にその専門的知識や経験上においても患者に不利にありながらも、患者自身の人権は患者自身が守らなければならない現実。また新たな問題としてAPEC自由診療導入も検討されている。
厚生労働省が全体として医療費抑制にあることはわかるのだが、その先にあるグランドデザインが、勉強不足の自分にはわからない。今後、どなたか、日本の医療行政システムの見通し。解説と問題点を執筆していただくとありがたい。
(民守 正義)
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