リベラル勢力総結集で政権交代!(51)
《Ken Sway Kenと管理者の【緊急事態条項等、憲法改悪阻止】》
《【沖縄-反戦】6歳の少女が見た沖縄戦:家族が引き裂かれ殺された/那覇市 金城ハツ子さん》
戦争当時、私は6歳で糸満市賀数にあった実家で、両親と8人の兄弟、祖母や叔母とその子の13人で暮らしていた。家は農業と商売をしていたが、父は防衛隊に召集されていなくなった。叔母は足の病気で寝たきりになり、その息子は鉄血勤皇隊に入り、南部でびっこを引きながら逃げていたと聞いたが、どこでどのように亡くなったのかは分からない。
長姉は、戦争が始まる前に腸チフスにかかって亡くなり、私達兄弟も6女まで5人が感染したが入院してなんとか助かった。病院にいる頃に沖縄での戦争が激しくなり、毎日のように「ドドーン」と砲弾の音が聞こえていた。賀数の実家は大きかったので、米軍の空襲で真っ先に焼かれ、私達家族は防空壕で生活した。毎朝、トンボ(米軍の偵察機)が飛んできたら壕に逃げる生活だ。壕の前のイモやキビ畑から食料を取っていたとき、トンボの機銃掃射を受けて2人が即死し、母も太腿を貫通する大怪我を負った。病院に行けないので、いつも母は、傷口から機銃の破片をピンセットで抜き取ろうとしていたのを覚えている。
この壕が敵に知られてしまったため、親戚の壕に避難した。ある日、壕に2人の日本兵が入ってきた。1人は頭に、もう1人は腕に包帯を巻いていた。日本兵は、生後6カ月の弟に銃を向け「この子を連れて壕を出ないと殺すぞ」と言った。赤ん坊が泣くと敵に見つかる危険性があるからだ。太腿の傷が治っていない母は、赤ん坊に母乳をあげる事で傷の治りが遅くなるとも言われていたので結局、女学生だった次姉が弟を連れて壕を出ることになった。
その次姉が親戚と避難を続けていたある晩、糸満の白銀堂付近を海伝いに南へ避難しているとき、米軍が張り巡らした鉄条網に触れ、たくさんの弾が飛んできた。
次姉は腕を負傷し、我が子を負ぶっていた叔母は脇腹を抉られ、片腕を削ぎ落された。
赤ん坊は弾よけになって叔母の背中で息絶えた。叔母達は避難する事はできなくなり、翌朝に米軍に投降した。叔母は死んだ赤ん坊を、その後、何日も負ぶったままだった。
身代わりに死んだ我が子を自分の手で埋葬するよりも、負ぶっている方が、まだ楽だったのだろうと思う。私達が生活を続けた壕の真上では、焼け残った民家を米軍が陣地にしたらしく、毎日米兵達が話す声が聞こえていた。包帯を巻いていた日本兵は、頭の傷にたくさんのウジが湧き、包帯の隙間からぽろぽろと地面にこぼれ落ちていた。
この日本兵達も、いつの間にかいなくなっていた。煙を出すと米軍に見つかるので火を炊けず、僅かな麦を水でふやかし、それに黒糖の粉をかけて食べた。それが唯一の食料だった。物音を立てる事ができないので、食事をするとき以外は皆、全く動かなかった。
ある日の朝、米軍は壕の中にガスを撒いた。既に私達が隠れている事を知っていたのだ。
ガスの真っ白い煙が、濛々と立ち込めて何も見えなくなる。私達は身を寄せ合い、母の見よう見真似で一枚の濡れタオルに口を当てて呼吸した。ガスを吸うと声が出なくなり、体がだるくて座っていることもできない。母の傷も癒えてきた頃、これまで静かにしていた母が急に荷物を纏め始めた。「何故?」と子供ながらに不信に感じ、その日は寝ずに夜中まで起きて母を見守っていたが、いつのまにか眠りに落ちていた。目を覚ますと、母と9歳の長男、女学校を出たばかりの3姉が壕から、いなくなっていた。「まだ近くにいるかもしれない!」と思い、私は直ぐに壕の外に飛び出し、周囲に米軍がいることも忘れて、母の耳に届くことを信じてワーワーと大声で泣いた。妹と4姉も出てきて皆で泣いた。
だが二度と再び母達を見ることはなかった。壕に残されたのは6歳の私、3歳の妹、ボーッとした性格の4姉と祖母の4人。思えば皆、足手まといになるものばかり。
米軍に包囲される中、母は「どうせ全滅するのなら、せめて長男だけでも….」と思ったのではなかったかと思うが、今も、やりきれない思いがある。その日、2回目のガスを撒かれ、母がやっていたように私達はタオルを口に当ててしのいだ。
非常食として保管していたムギや黒砂糖、炒った大豆等の食料だけは置いてあった。
母の我が子への、せめてもの償いだったかもしれない。見よう見真似で水に浸して食べた。私は妹から片時も離れずに抱いていた。彼女は母がいなくなってからも一度も泣かなかった。よく辛抱したものだと思う。ついに3回目のガスを撒かれ、今度は壕の入り口に火を付けられた。炎が近づき、怖くなって「逃げよう」となり、夜になって私は妹を背負って壕から出た。祖母も出てきたが、4姉は恐ろしかったのか、幾ら待てども壕から出てこない。
「このまま外にいたら皆、殺される!」と思い、3人だけで逃げることになった。
ガタガタ震えながら3人で歩いていると、直ぐに米兵に見つかり捕虜になった。
隙を突いて逃げようとしたが、また直ぐに捕まった。米軍のGMC(トラック)の荷台に乗せられ、どこかの山の裏にある金網に囲まれた収容所に着くと、私と祖母は、そこで降ろされた。だが妹だけは、案内役の老人から「この子は病院へ連れていき、治療してから、また連れてくる」と言われた。「ガスを吸ってフラフラしているだけでケガではない!降ろしてくれ!」と、祖母は帯の下に隠していたお金まで出して妹を返すように懇願したが聞き入れられず、トラックはサッと収容所から出て行ってしまった。これが妹との生き別れだった。
私と祖母は、その後、北中城の捕虜収容所へ移動した。二人とも頭からDDT(消毒剤)をかけられ、丸坊主にされた。次に宜野座村の収容所へ移され、枝打ちの開墾作業に従事した。ここで偶然、生後6カ月の弟をつれて壕を出ていった次姉と再会した。
私達と別れた後、どこかで親戚と合流して逃げ回っていたようだが、生後6カ月だった弟がいない理由を尋ねると「栄養失調で死なせてしまった」と話していた。
捕虜収容所では栄養失調でたくさんの人が死んだ。収容所は墓地でもあった。
男手は皆、墓堀り作業だった。祖母は、この収容所で亡くなり、たくさんの遺体と一緒に収容所に埋められた。配給される食料は、米が数えるほどしか入っていないお粥しかなく、働ける人は米と味噌汁が貰えたが、覗けば顔が映るような「鏡の汁」と言われていた。
イモは皮を剥くのは、もったいないから丸ごと食べた。木の根のようにやせ細った芋や石垣に這った草、地面に生えた雑草など食べられるものは全て口に入れた。
それだけ皆ひもじい思いをしていた。戦災孤児になった私は「孤児院へ行きなさい」と言われたが偶然、叔母に出会って引き取られた。それからテント小屋の小学校へ通わせてもらった。親がいる子は鉛筆を持っていたが、私は休み時間になると校舎の外へ出て、地面に落ちている鉛筆の芯を探し、それを使って授業を受けていた。中学校までは卒業したが高校へは行けなかった。時計が読めるようになったのは中学に入ってからだった。
叔父一家は、子供が7人いたが、叔父は防衛隊、長男は工業高校で、皆バラバラで逃げていたという。最後は友軍(日本軍)の手榴弾による自決の巻き添えになり、兄は指を失い、姉は目を失って義眼を入れ、亡くなるまで頭には弾の破片が入っていた。
火葬をした際に破片が出てきた。母の妹(叔母)は、目の前で夫が米軍に射殺され、叔母は背中に負ぶっていた子供が自分の身代わりで亡くなり、いつまでも、その子を負ぶって逃げたという。本当に酷い話ばかりだった。戦争は家族を引き裂いて奪っていった。
生き別れになった妹だけは今も生きていると信じているが、家族は誰一人骨もない。
沖縄では、今も壕を掘れば遺骨や遺品がたくさん出てくるし、学校の校庭からも艦砲の不発弾が見つかる。空から米軍の部品が落ちてくる度にゾッとする。私達にとって戦争は終わっていない。国はアメリカの言いなりで危うい方向に進んでいる。
軍隊が住民を守らず、一番弱い人達が犠牲になったのが沖縄戦だった。
米軍であろうと、自衛隊であろうと、戦争をするための基地は沖縄にはいらない。
人間の殺し合いでしかない戦争は二度と起こしてはいけない。 (長周新聞)
《【外交も安倍ウソ】日中首脳会談「3原則」の大ウソ:「安倍」は米中で信頼失う》
「これからの日中関係の道標となる3つの原則を確認した」―。
安倍(外交音痴)首相が日中首脳会談の“成果”をこう強調していることに対し、外務省が火消しに躍起になっている。安倍(外交音痴)首相は習近平国家主席や李克強首相との会談で、今後の日中関係について「競争から協調」「互いに脅威とならない」「自由で公正な貿易体制の発展」の3原則を確認したといい、首相官邸フェイスブックで発信したり、フジテレビのインタビューでもアピールしたりしていた。ところが外務省は先週26日〈一連の会談で『3原則』との言葉で、これら諸点に言及したことはない〉と否定する文書を発表。
翌27日にもわざわざ記者に「『3原則』とは言っていない」と念押ししたほどだ。
「首脳会談で決まった内容は条約に匹敵するほど重い。外務省が否定しているということは、日中間で合意には至っていないということ。恐らく功を焦った安倍首相がつい口を滑らしたのでしょう。仮に中国側が『そんな原則は決めていない』と発表したら、大変な問題になりますよ」(元外交官の天木直人氏)日中関係の改善は結構だが、そもそも対中関係を悪化させてきた張本人は安倍(外交音痴)首相自身だ。2012年末に政権に返り咲いて以降、「中国脅威論」をタテに防衛費を拡大させ、尖閣上陸を念頭に自衛隊内に離島奪還専門部隊の「水陸機動団」を発足させた。中国包囲網を築くため、中国を取り囲むようにモンゴルや中央アジア等にカネをバラまき、中国主導の現代版シルクロード構想「一帯一路」を牽制してきたのだ。今まで敵意ムキ出しだった男が突然、「3原則」を言っても中国側が信用するはずがない。外務省が「3原則発言」に神経を尖らせているワケは他にもある。
米国との関係だ。中国と激しい貿易戦争を繰り広げているトランプ大統領が、習近平国家主席と笑顔で握手しながら「やっぱり保護貿易はダメだ」なんて笑っている安倍(外交音痴)首相の姿を見たらどう動くか。トランプ大統領は早速、日本が市場を開放しない場合、日本車に20%の関税をかけると警告しているが、年明けに始まる日米貿易交渉でも影響が出るだろう。〈トランプ氏の盟友、日本の首相が中国首脳に擦り寄ろうとしている〉。
米ワシントン・ポスト紙は日中首脳会談の様子をこう報じていたが、米国が強ければ対米従属し、中国の力が強くなれば中国にも尻尾を振る。日本外交の確固たる信念も何もない。
米中のどちらにもいい顔をした結果、日本だけが「孤立損」を引くことになる。
まさに実態は、マスコミの捏造と違って「安倍‐低能力ドジ外交」なのだ。(基本文献-日刊ゲンダイ/管理者:部分編集)
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《【11・8市民集会】講演:巨大災害に備える自治体の課題》
◎講師:塩崎 賢明さん(立命館災害復興支援室アドバイザー、神戸大学名誉教授)
◎日時:2018年11月8日(木)午後6時30分~午後9時
◎場所:エルおおさか7階708号(大阪市中央区北浜東3-14)
●Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)谷町線・京阪天満橋2番出口より徒歩約670m
◎資料代:500円
◎主催:どないする大阪の未来ネット(略称:どないネット)
●連絡先:大阪市北区天満1-6-8六甲天満ビル2階/℡:06-6355-3101
/mail:donaisuruosaka@gmail.com/ブログ「どないネット」で検索
《「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット:2018年度-総会と講演会》
<記念講演:湯谷 茂樹さん(毎日新聞記者)>
◎日時:2018年11月10日(土)午後6時開場/午後6時30分~午後9時
◎場所:エルおおさか7階701(大阪市中央区北浜東3-14)
●Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)谷町線・京阪天満橋2番出口より徒歩約670m
◎入場無料:どなたも参加できます。
◎主催:『日の丸・君が代』強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク
●FAX:06-6942-2444/mail:hinokimiosk@yahoo.co.jp
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*大阪府労働相談経験10年以上。*産業カウンセラー資格、有り。
*但しメンタルヘルスの場合、もし心療内科等に受診されている場合、または、その受診の方が望ましい場合は、当該医師の指導を優先し、カウンセリングを断る事もありますので予めご了承ください。【費用:交通費等、実費+α(委細相談)】
②「企業内人権研修」等の講師派遣も行います。【但し有料(2万円程度-委細相談)】
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(民守 正義)
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